◎「さかみづき」(動詞)

「さきいはみつき(咲き聚み付き)」。「いはみ(聚み)」は、集まり、のような意(→「いはみ(聚み)」の項・2020年2月23日)。「さきいはみつき(咲き聚み付き)→さかみづき」は、繁栄し集まり付く、ということ。これは『古事記』の歌謡102にある特殊な表現です。大宮人が大君(おほきみ)のもとに集(つど)ひ楽しげにしている(宴会を催している)様子を称(たた)えたもの。この歌謡102の歌が歌われた事情は特殊なのですが、これにより、大君(これは大君の歌にある表現)が緊張が走った酒宴の場をなだめ、なごやかなものにした。この「さかみづき」は、歌の前後の事情から、酒に関連して解されることが多い(酒びたりになること、と言われたりする)。しかし、表現は「さかみづくらし」となっており、この「らし」は「春過ぎて夏来たるらし」等の「らし」であり、宴に集う者たちが酒宴していることに感銘を受けた表現がここでなされることは(この歌は、これにより大君が場の緊張をなだめなごやかにするためのものであるから)不自然に思われます(つまり、酒の幸福感に酔っていることを歌っているわけではない)。また、もし「酒(さか)水浸(みづ)き」(酒によって水に浸(ひた)されような状態になっている)という表現があったとしたら、それはもう記憶もないほどの泥酔です。

「ももしきの 大宮人(おほみやびと)は …………今日もかも さかみづくらし(佐加美豆久良斯) …」(『古事記』歌謡102)。

「橘の下照る庭に殿建ててさかみづき(佐可弥豆伎)います我が大君かも」(万4059)。

 

◎「さかやき(月代)」

「さはけはやキ(爽気早来)」。冠であれ兜であり頭巾であれ、頭部が蒸れる熱気を放し速やかに頭を爽やかにする髪処理、の意。具体的には、頭部の額(ひたい)上部、さらには頭頂部、の髪を抜く、あるいは剃る。「『あら熱や』とて、頭巾を脱で側に指置く。実の山伏ならねば、さかやきの迹隠なし」(『太平記』)。

ただし、これは別名「つきしろ(月代)」と言い、この語は(天体たる)月の形ということであり、頭部の無毛になった部分の印象によるものですが、この語が元来の表現であり「さかやき」は俗語的なものでしょう。この習慣は平安時代最末期ころ、武家のあいだから広まっているようです。兜(かぶと)で頭部が蒸れ、それに対応した頭髪処理がなされたということか。

「自件簾中、時忠(平時忠)卿指出首。其鬢不正、月代太見苦(つきしろ はなはだ みぐるし)、面色殊損」(『玉葉』安元二(1176)年七月八日) 。

「又サテ其夕方、月代(ツキシロ)白キ入道此ノ坊ヘ来(キタ)ツテ…」(『(米沢本)沙石集』(1283年):「月代(ツキシロ)白キ」とは、月代が目立っている、という意味でしょう。やって来たのは昨夜の強盗であり、それが目立つことは、出家してすぐ、ということであり、月代があるような、武装した武家的なものであることを意味している)。

「此賊モ袖ヲシボリテサリヌ。又サテソノ次日ノ夕方(ユフカタ)、月代(サカヤキ)有ル入道コノ坊ニ来テ…」(『沙石集』貞享三(1686)年刊:『沙石集』は著者による改訂も繰り返され、伝本の種類も多い)。