「さがゐやなし(性礼無し)」。その性(さが)に敬(うやま)ひの素質が感じられないことの表明。「さが(祥・性)」(5月23日)や「ゐや(礼)」はその項参照。「ゐや(礼)」は相手の存在や動態を尊重しこれに遠慮していることを表現しますが、「さがゐやなし(性礼無し)→さがなし」は、その性(さが)にそれが感じられずそれがない、ということ。人との関係で、人を尊重する素直さに欠陥が感じられその人間性に歪みが感じとられたりする。「さが(祥・性)」がない、すなわち、人間としての性(さが:特性)がなく、非人間的で、獣のように残忍で…といったような意味ではなく。その人のその性(さが)として、つまり根元的に、礼(ゐや)がない。
「少し御心さがなく、御もの怨(うら)みなどせさせたまふやうにぞ、世の人にいはれおはしましし」(『大鏡』)。
この「さがなし」は「物言ひさがなし」や「口さがなし」のように、口のききかた、言い方、言語活動に関し言われることが多い。これは、口のききかた、言い方に人の心や思いを傷つけることへの配慮がない、といった一般的な意味になる。「さがなし」が口のききかた、言語活動に関しよく言われるのは、人間において、その性(さが)に礼(ゐや)がないことが最も簡単・手軽・日常的に現れるのがその口のききかた、その言語活動だということでしょう。「著給へる物どもをさへ言ひ立つるも、物言ひさがなきやうなれど…」(『源氏物語』)。「くちさがない人の噂」。
「さがなきわらはべどもの仕(つかまつ)りける…」(『徒然草』:これは悪戯(いたづら)な子供たちが狛犬を後ろ向きにしてしまったことをこう言っている)。
「あなさがな。たはぶれにものたまふべきにあらず」(『宇津保物語』:これは「さがなし」の語幹が、まぁひどい、のような、感動詞のようにもちいられている)。