「この話はうまくいきさうだ」、「値段の高さうな靴」、などと言う場合の「さう」です。

「さエイ(さ映)」。「エイ」が「う」になっている(E音I音の連音により)。「エイ」は「映」の音(漢音)。意味は、映(は)える、情況との関係で新鮮な印象がある、ということ。「さ」は何かを指し示す(→「さ(指し示し)」の項)。「さエイ(さ映)→さう」は、「さ」で指示されるものやことが映(は)える、ということであり、まさに「さ」、まさに「さ」の印象がある、という表現。たとえば。

転びさうになる→転びさ映(エイ)になる→転び、その動態が映えた(まさにそうした)、動態になる。

嬉(うれ)しさうに笑ふ→嬉(うれ)しさ映(エイ)に笑ふ→嬉(うれ)し、その動態が映えた(まさにそうした)、動態で笑ふ。

(値段の)高さうな靴→高しさ映(エイ)な靴→高し、それが映(は)える(まさにそうした)、靴。

形容詞で語幹が一音の場合「さ」が入り意味の明瞭性が維持される。良ささうな靴→良しさ映(エイ)な靴→良し、その動態が映えた(まさにそうした)、靴。これが、よさうな靴、では意味がいささか不明瞭になるため、良さ、さ映(エイ)な→良さ、それが映える…、のような表現になる。なさう、なささう(無ささう)、もそうです。

ずいぶん大変さう→大変さ映(エイ)→大変、それが映(は)えている(まさにそうしたもの)。

かはゆしさ映(エイ)→(「ゆ」と「い」は交替し)かはいしさエイ→かはいさう(かはいそう(可哀そう):「かはゆし」に関してはその項・2021年5月10日の「かはいい」の項。「かはいさう」は5月11日)。

この「さう」は21世紀では「そう」と表記される(※下記)、返事などで言われ、何かを指し示している印象のある「そう」もこの「さう」。この「さう」は、「さやう(さ様)でござります」などの「さやう(さ様:その様(様子・状態))」の影響もあるのかもしれない。「天道は終れば始まるぞ。寒去れば暖になるやうにぞ。人もさうぞ」(『周易抄』)。「人生はそういうもの」。「『これは君の本?』『そう』」。「そういえば…」。「なかなかそうはいかない」。「そう多くはない」。「『どうする?』『そうする』」。「『どう思ふ?』『そう思ふ』」。

この語の語源説としては、何かを指し示す「さ」の変化や長音化と言われる。しかし、「さ」が長音化しても「さう」にはならない。

(※) 「さ」がO音化するのはA音とU音の連音によるものということですが、高音のU音により前音のA音が閉化する。

 

・「さうらふ(候:原形は「さぶらふ」)」が極度に省略された「さう」もある。これは、現実には「さう」と明瞭に言っているわけではないでしょう。「…らふ」は心の中で言われるような状態になり「さう…」と書かれるのでしょう。「少自備トハ チツト用心ヲメサレサウヘト云ソ」(『史記抄』十一巻「子胥(シショ)」:「サウヘ」は「さうらへ」ということ。「少自備」とは、ちょっと用心なさいますように、ということだ)。「『いかに梶原殿この川は西国一の大河ぞや。腹帯(はるび)の延びて見えさうぞ。締め給へ』と云ひければ。梶原さもあるらんとや思ひけん…」(『平家物語』)。