◎「さ(情況的動感)」
S音の動感とA音の全感により何かが現す情況的動感を表現する「さ」がある。「さゆり(小百合)」、「さなへ(早苗)」、「さぎり(さ霧)」、「さをしか(さ牡鹿)」、「さばしり(さ走り)」等の「さ」は動きを表現する。花の名「ゆり(百合)」はそれ自体が「揺り(ゆり)」です。
◎「さ(動態の促し)」
S音の動感とA音の全感により情況的動感が表現され動態を促す「さ」がある。これは二音繰り返されたり、「さあ」と音がのびたりもする。
「あさず食(を)せ ささ」(『古事記』歌謡40:(酒を)飽くことなく飲め さあさあ)。
「さあ きらせられい(斬らせられい)」(「狂言」)。
「いやさ お富さん」(「歌舞伎」:「いや」は勢いをつける動態進行とでもいうような発声)。
◎「さあを(さ青)」
「さはあを(爽青)」。「さは(爽)」はその項参照。全的に質転換し何かが抜けたような新鮮な青。爽(さは)やかな青も言いますが、非常に希薄な、白に近づくよう青も言う。「さを」にもなり、これが「ひとだま(人魂)」の色を表現したりもする。「さみどり(さ緑)」という表現もある。若草や若葉の爽(さは)やかな緑(みどり)です。
「色(顔色)は雪恥づかしく白うて真青(さを)に…」(『源氏物語』)。
「紅萌ゆる岡の花 早緑(サミドリ)匂う岸の色」(『紅(くれなゐ)萌ゆる岡の花(第三高等学校逍遙の歌)』(1906年頃))。
「人魂乃佐青(さあを)有之但獨相有之雨夜葉非左思所念」(万3889:この歌は、特に第五句が、難訓とされ、字が加えられたりもしつつ、さまざまな読みがなされたり読みが放棄されたりしているものですが、読みは「ひとだまの(人魂乃) さあをなるこれ(佐青有之) ただひとり(但獨) あひたるあまよは(相有之雨夜葉) さらずしおもほゆ(非左思所念)」ということでしょう。最後の「非左」は「サ(左)」に「非(あらず)」ということで、「さらず」。この「さ」は指し示しのそれですが、現実一般を指し示すような「さ」であり、「さらず」は「さあらず」であり、(自分が今見ている)これは現実ではない、現実に居る思いがしない、生きたここちがしない、ということ。続く「し(思)」は副助詞と言われるそれ(→「し(助)」の項)であり、動態が運命必然的や強迫的に起こることを表現する。全体的に言っていることは、雨夜に独(ひと)りでさ青な人魂に出会ったら生きたここちがしない、ということ。これは万3887から3889にある「怕物歌(ものにおそるるうた)」なる三つの歌の中の一つ)。