「こふれおし(凝振れ押し)」。「ふ」の音は退化した。「こ(凝)」は客観的な凝固・凝縮、質的な濃密・濃縮を表現しますが(→「こり(凝り)」の項)、ここでの「こ(凝)」は、それにより安定・安堵・安心のある、質的な濃密・濃縮です。機能や作用の、それにより安定・安堵・安心のある、濃密・濃縮。「ふれ(振れ)」は「ふり(振り)」の自動表現ですが、この「ふ」は切り離される、遊離する「ふ」であり(→「彼女にふられた」「引いつふられつ。それこそ若い時の花かよなう」(『閑吟集』))、「ふれ」はその自動表現。「こふれ(凝振れ)」は、質的な安定した濃密・濃縮、凝固・凝縮が遊離・解体すること。意味や存在価値が遊離・解体する。「おし(押し)」は何かに対し、それを独自の存在として遊離させる動的努力をすることであり(→「おし(押し)」の項)、「こふれ(凝振れ)」を「おし(押し)」、すなわち、質的な安定した濃密・濃縮、凝固・凝縮が遊離・解体を独自の存在として遊離させる動的努力をする、とは、質的な安定した濃密・濃縮、凝固・凝縮の遊離・解体を成立させることをする、ということです。機能しないよう働きかける、のような意。この「質的な安定した濃密・濃縮、凝固・凝縮」には平穏に、安定的に活動している生命活動も含まれ、それだけではなく、生命体たるその主体の社会的意味や、その活動の意味や価値、なども含まれる。また、「おし(押し)」は「こふれ(凝振れ)」に対する支援的動態であり、「こふり(凝振り)」、すなわち、それにより安定・安堵・安心のある、質的な濃密・濃縮の遊離、虚無化、は意味していない。これは、古代においては、人が死ぬとは、魂(たましひ)が離れることであり、その絶対的な虚無化はなし得なかった、ということでしょう。
「大き戸より窺(うかが)ひてころさ(許呂佐)むとすらくを知らに…」(『日本書紀』歌謡18(細字):これは細字にある別伝としての歌であり、本歌の「ころす」の部分の表現は「を(緒)をしせ:烏塢志齊」。「を(緒)」は血統その血統にあるもの・子孫を意味する。「しせ」は、支配する、のような意)。
「皇后(きさき)、死刑(ころすつみ)を赦(ゆる)したまひて其(そ)の姓(かばね)を貶(おと)して稲置(いなき)と謂(い)う」(『日本書紀』允恭天皇二年春二月:「国造(くにのみやつこ)」だったものを「稲置(いなき)」にした。この「ころす」は物的な生命活動を廃棄し虚無化させることであり、「ころすつみ」は後世で言えば死刑ですが、これを「ころす刑(ケイ)」や「ころす罰(バツ)」ではなく、「ころすつみ」と言っていることも注意。これは「つみ(罪)」の語源で問題になる)。
「(宮を)活(い)けみ殺(ころ)しみいましめ」(『源氏物語』:意味や価値として宮を活かしたり殺したり、ということ)。
「死別るる中にも……子は格別にふびんのます物なり。一子などころせし時は世にながらへては居られざる程におもふ物なりしが」(「浮世草子」:これは、殺害したわけではなく、死なせてしまった、ということ)。
「『初会か』『ウウ』『どふだころしたか』」(「洒落本」:相手に自我意識が喪失するほど快感を感じさせることを「ころす」と表現している)。
「声をころす」(声を出さないわけではない。聞こえにくく小声に抑える)、「息をころす」(微かな呼吸にする)。