「から」(2021年6月28日)の母音変化。O音の目標感(対象感。客観的存在感)により「から」が対象的(自足的・自律存在的)に情況化する。「から」は「動態であれ対象であれ、それがなければ生体として存在しない情況・そうした情況にあるもの・こと」(「から」の項)を言いますが、「ころ」は、動態であれ対象であれ、それ自体がそれがなければ生体として存在しない情況・そうした情況にあるもの・ことであること、それ自体がそれ自体の生体として存在に自足していること、を言う。それ自体がそれ自体と関係を同じくし、それ自体がそれ自体と属性を同じくし、すなわち、それは自足的属性にある。たとえば牛が「ころに」繋(つな)がれる場合、牛は一頭一頭個別に、それぞれが自足し、杭などに繋がれ、牛同士は繋がれない。「荒床(あらどこ:浜の岩場を言っている)にころ伏す君(きみ)」(万220:これは海岸で死んでいる人(死体))に出会っての歌です。家には家族もあるだろうに、孤独に伏していると言っている。原文「自伏」は「臥(こ)やす」とも読まれていますが、その場合、原文の「自」が生きない)。「ころたち(ころ立ち)」という表現もある。「紀大磐宿禰(きのおひはのすくね)、……小鹿火宿禰(をかひのすくね)の掌(つかさど)れる兵馬(つはもの)・船官(ふねのつかさ)及(およ)び諸(もろもろ)の小官(をづかさ)を執(と)りてころたちぬ(専用威命)。ここに、小鹿火宿禰(をかひのすくね)深(ふか)く紀大磐宿禰(きのおひはのすくね)を怨(にく)む」(『日本書紀』雄略天皇九年五月:権限を奪い取り独裁的に独占してしまったのです)。

「又経の中に説かく貪愛をば繁と為。黒白の牛の自(コロト)相ひ繋せず但(いたづら?)に縄を以て繋するが如くを」(『聖語藏御本成實論 巻十三』天長五(828)年点)。

「児い長大して能く自(コロト)行し来るときには」(『涅槃経集解(ねはんきゃうしふげ)』平安初期点:「い」は代名詞のようなそれ(「い」の項))。

「其の茂徳高才別に自(コロニ)伝有り」(『大慈恩寺三蔵法師伝』永久四(1072)年点)。

 

『古事記』『日本書紀』において、「島(しま)生(う)み」の基盤になるような「しま」として「おのごろしま」がある(ここで「島(しま)生(う)み」が起こる)。これは「おのころしま(己自島)」。「ころ(自)」に関しては上記。

 

(参考再記)

◎「おのごろしま(淤能碁呂島) 」

「おのころしま(己自島)」。「こ」の濁音化は前音「の」の影響やO音が連続していることによるもの。「おの(己)」は「あな(己)」の母音変化であり、「あな(己)」に目標感・対象感が生じた表現→「あな(己)」の項。「ころ(自)」は、「から」の母音変化であり、O音の目標感(対象感。客観的存在感)により「から」が対象的(自足的・自律存在的)に情況化する。

 

「から」は「動態であれ対象であれ、それがなければ生体として存在しない情況・そうした情況にあるもの・こと」(「から」の項)を言うが、「ころ」は、動態であれ対象であれ、それ自体がそれがなければ生体として存在しない情況・そうした情況にあるもの・ことであること、それ自体がそれ自体の生体として存在に自足していること、を言う。それ自体がそれ自体と関係を同じくし、それ自体がそれ自体と属性を同じくし、すなわち、それは自足的属性にある→「ころ(自)」「から」の項。(この部分上記に同じ)

 

すなわち「おのころ(己自)」は、自分から、自分との自足的関係で、ということであり、自然発生を表現する。自然自己発生したということはその「なり(成り)」には対象の影響、他者の意図は無い。これは『古事記』『日本書紀』にある「しまうみ(島生み)」の基盤になる「しま」である。ここで「しまうみ(島生み)」が起こる。世界が生まれる。問題は、「おのころ(己自)」は「あなから(己から)」の母音変化だという点である。島生みがあり世界が生み出された基盤が「あ(我・私)」との関係で、「あ(我・私)」なものとして、あるとはどういうことなのかというと、「あ(我・私)」が世界を感じ認識するからである。世界を感じ認識しているのは人でありあらゆる「あ(我・私)」なのである(つまり、世界が生まれる、とは、世界を認識する、ということ)。ここでは「あ(我・私)」が客観的に認了され、その客観的に認了された対象自体の関係性、その対象の均質性、が維持されている。世界は「あ(我・私)から」ではなく、「あ(我・私)なから」生まれている。世界が「あ(我・私)から」生まれている場合、世界は「あ(我・私)」のもの、私のものである。「あ(我・私)なから」生まれている場合、世界は「あ(我・私)な」のものであり、世界は時間的・空間的に均質な普遍的なあらゆる「あ(我・私)」のものである。

「其(そ)の沼矛(ぬほこ・瓊矛(ぬほこ):玉の矛)以(も)て指(さ)し下(おろし)て畫(か)きたまへば、鹽(しほ)許々袁々呂々(こころろをを)に畫(か)き鳴(な)し(下記※)て引(ひ)き上(あ)げたまふ時(とき)、其(そ)の矛(ほこ)の末(さき)より垂(したた)り落(お)つる鹽(しほ)、累(かさ)なり積(つもり)て、嶋(しま)と成(な)りき、是(これ)淤能碁呂嶋(おのごろじま)なり 自淤以下四字以音」(『古事記』:※ 「なし(鳴し)」は「なり(鳴り)」の他動表現)。