◎「こよみ(暦)」
「ころよみ(頃読み)」。「ろ」は脱落した。「ころ(頃)」は事象の到来期を表現しますが、その「ころ(頃)」を読み、今がどういう事象が到来する時期なのか、どういう時分なのかの情報を得、知るもの。つまり「ころ(頃)」を読む(情報を構成する)もの、の意。日本に「ころよみ(頃読み)→こよみ」がいつから有るかと言えば、睦月(むつき)、如月(きさらぎ)、弥生(やよひ)……といった月名が生まれたころにはあるということでしょうけれど、現代においては暦(こよみ・カレンダー)は一日・一年を単位とし、一年をいくつかの(一般には12の)単位に分け、時間の流れを量化・数化して表現したものを言う。それが一般化する以前は時間的位置は元号で把握され、たとえば「建武五年五月十三日」といった書き方がなされる。また、庶民においては「庚申(かのえさる)」「癸未(みづのとひつじ)」といった、「木(き)、火(ひ)、土(つち)、金(かね)、水(みづ)」(五行)のそれぞれを「え(兄)」と「と(弟)」にした十と「子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)、辰(たつ)、巳(み)、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(ゐ)」の十二支を組み合わせ、「甲(カフ)、乙(オツ)、丙(ヘイ)、丁(テイ)、戊(ボ)、己(キ)、庚(カウ)、辛(シン)、壬(ジン)、癸(キ)」で書いたその「木火土金水」と「え(兄)」と「と(弟)」を組み合わせたそれと十二支による、いわゆる「えと(干支)」による書き方もなされた(たとえば「甲子」は、甲(きのえ)子(ね))。五行とそのそれぞれに割り振った「え(兄)」と「と(弟)」で表現する十と十二支の組み合わせで表現するわけですから、120で一巡しそうでもありますが、「え(兄)」と「と(弟)」は組になって二つずつ移動するので60(六十年)で一巡し(つまり、木や火のそれぞれに兄(え)と弟(と)があり10になり、その10と十二支の12の最小公倍数が60になり61年目に最初の「甲子(きのえね)」がまた戻り)、六十年を(61年目をか)「還暦」と言う(※下記)。
「暦 ………和名古輿美」(『和名類聚鈔』)。
「『この月日惡しかりけり。月立ちてとなむ。こよみ御覽じて、たゞ今ものたまはする』などぞ書いたる…」(『蜻蛉日記』:『この月は、日が悪い。来月になったら、と暦をごらんになってたった今もおっしゃっています』などと書いてある…)。
これは「こゆみ」とも言う。これは「ころよふみ(頃世践み)」か。「ふみ(践み)」は実践に入ること(→「ふみ(踏み・践み)」の項)。「ころよふみ(頃世践み)→こゆみ」とは、頃(ころ)たる世(よ)を実践するもの、の意。それにより、世は「そのころ」(たとえば田植えのころ)であることをふまえて生活するもの、ということです。
「暦 コユミ」(『伊京集』)。
※ 中国の古代の「十干十二支」の原形は「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」の10日を単位とし、これに十二支の12を組み合わせ、10と12の最小公倍数60(十干が6巡し十二支が5巡し最初の組み合わせにもどる)を日や年の単位とするもの。ここに陰陽五行説が影響していく。日本で、最初の「甲子」を「きのえ・ね」と言ったりするのは陰陽五行説が影響しているわけです。ようするに、「十干十二支」は日日(ひにち)を10単位で考えることと12単位で考えることが重なっているわけですが、10単位で考えることは人間の指が10本だからということでしょうか。12単位で考えることは、四季のそれぞれを始めと中と終わりの三つにわけて全部で12ということなのでしょうか。日本の睦月(むつき)、如月(きさらぎ)…といった月名も12あります。現代では7日を単位として「週」と言われていますが、なぜ単位が7なのかは良くわかっていません。『旧約聖書』に由来するとも言われますが、その『旧約聖書』に書かれていることを考えた人たちにおいてなぜ7が単位だったのかが良くわからない。指の数5を単位として考え、1年は35日の月が10の10カ月と15日、1カ月は7の日が5つ、ということなのでしようか。古代のメソポタミアあたりでそんな考えがあったのか、くわしくは知りませんが…。
◎「こよひ(今宵)」
「こゆふおひ(此夕覆ひ)」。「おひ(覆ひ)」は対象に対し全体的に作用する動詞。「ゆふおひ(此夕覆ひ)→よひ」は、夕(ゆふ)が覆ふ(世界全的に作用する)こと・その時空域。此(こ)、は現在性を表現し、此(こ)の夕は、今の夕や記憶として現在感のある今あった夕(つまり昨晩)を意味し、現在性のないこれからの夕は意味しない。「この夜」が(夜に言っていれば)今の夜や(明けた朝言っていれば)今過ぎた夜(昨晩)は意味しても、これから来る夜は意味しないようなものです。これから来る夜は、「けふのよ(今日の夜)」でもいいですが、「コンバン(今晩)」という言い方もなされている。
「夜いたう更けぬれば、こよひ過ぐさず御返奏せむ」(『源氏物語』:今、夜(よる)であり、その夜(よる)を 「こよひ」と表現している)。
「いたう(雨が)ふりあかしたるつとめて(早朝)、こよひのあめのおとは、おどろおどろしかりつるを…」(『和泉式部日記』:早朝、今経験してきた夜(よる)を「こよひ」と表現している)。