「こえヨなし(越え、余無し)」。越え、越えない部分(「余(ヨ):余(あま)り・「越(こ)え)」が成り立つために必要な膨張域」)が無い、の意。つまり、全的に越え、まったく、ということ。まったく良い(優っている)のか、まったく良くない(劣っている)のかは叙述の内容から判断される。「こよなし」が、比較にならず、のような意味になる。そして、比較にならず(良い)、も、比較にならず(良くない)、もあるということ。
「髪のうつくしげにそがれたる末も、なかなか長きよりもこよなう今めかしきものかなと、あはれに(感嘆し)見給ふ」(『源氏物語』)。
「維茂(これもち)が方には兵(つはもの)三千人ばかり有り、諸任(もろたふ)が方には千余人有ければ、軍の員もこよなく劣りたり」(『今昔物語』:こよなく劣っている、も、こよなく優れている、も、どちらの表現も有り得るということ) 。
「おのづから御心うつろいて、こよなうおぼしなぐさむやうなるも、あはれなるわざなりけり」(『源氏物語』:以前とは格段に違い、のような意)。
「母北の方見るに帥はいと物ものしく、有りさまもよければ、さいへども、やんごとなき人のし給へることはこよなかりけりとよろこぶ」(『落窪物語』:ほめている)。
「限りなくめでたく見えし君たち、此の今見ゆるに(「天女降りたる様(ヤウ)なる人」と表現されたその人に)あはすれば、こよなく見ゆ」(『宇津保物語』:これは、「限りなくめでたく見えし君たち」もこよなく劣っている、という意味。つまり、ほめていない)。
「中納言などは、年若くかろがろしきやうなれど……遂におほやけの御後見(うしろみ)ともなりぬべき生先(おひさき)なんめれば、さも(帝が女三宮を中納言のもとへと)おぼし寄らむに(お思いになることに)などかこよなからむ」(『源氏物語』若菜上:これは、(帝が女三宮を中納言のもとへと)おぼし寄らむに(お思いになることに)など(どうして)こよなきことでないことがあるだろう、と言っているのではないか?つまり、こよなきことなからむ、が、こよなからむ、に省略されている。そして話は 「されど、いといたくまめだちて、思ふ人定まりにてぞあめれば、それに憚(はばか)らせたまふにやあらむ(しかし、実直で、思う人が定まっているから遠慮しているのではないか)」 と続く。「などかこよなからむ」では、どうしてこよないことがあるだろう→こえよあるぞ(不足だ)、という意味になる。「遂におほやけの御後見(うしろみ)ともなりぬべき生先(おひさき)なんめれば、さも(帝が女三宮を中納言のもとへと)おぼし寄らむに(お思いになることに)不足だ」は表現として奇妙でしょう)。