◎「こめかみ(顳)」

「こめきかみ(凝めき噛み)」。「こ」は、「こり(凝り)」などのそれであり、凝縮・凝固を表現する一種の擬態として言われている。「めき」は「春めき」などのそれであり、動態や情況が生命が発生・発育するような状態であることを表現する。凝(こ)めいて噛(か)む、とは、身をすくめ固まるような印象で何かを噛(か)んでいるようだ、ということ。この語が、そのような印象で動く身体の一部を表現する。どこかと言えば、頭部の両側であり、顎(あご)で何かを噛むとそこも何かを噛(か)んでいるかのように、浮き沈みするかのように、動く部分です。その部分を「こめかみ」と言う。

この語の語源は、米(こめ)を噛むと動くから、ということが常識のように言われるわけですが、噛むものが米でなくとも動くでしょう。

「蟀谷 ……耳以上入髪際一寸半有二穴 應嚼而動謂之蟀谷 和名古米加美 髪際 加美岐波」(『和名類聚鈔』)。

 

・ちなみに、年少の比丘尼(びくに:女の出家者)を言う「こめかみ」や「こめかみ比丘尼」という語がありますが、これは「こめきあみ(子めき阿弥)」でしょう。「あみ(阿弥)」は、能楽の観阿弥や世阿弥などにもあるような、いわゆる、阿弥陀号、であり、「子(こ)めき」(子として萌育つ)という阿弥陀号。これが比丘尼の弟子たる年少の比丘尼の呼称になった。阿弥陀号は浄土教系のものですが、これが相当に一般化しているということでしょう。これも語源としては「米噛み」であり、布施米を噛むから、と言われている。

 

◎「ごもく(芥・五目)」

「ごみヨク(塵芥欲)」。「ごみ(塵芥)」は「ごみ(流動体物・塵芥)」の項(4月24日)。この場合は流動体物ではなく、不要なもの・ことを意味する。「ヨク」は「欲」の音(オン)であり、欲(ほ)しいという衝動を意味する。「ごみヨク(塵芥欲)→ごもく」は、「ごみ」の「ヨク(欲)」たる、不要なもの・こととして現れている欲たる、現出・現出物、という意味では、不要なもの、さらには、あると邪魔なもの、という意味になり(1)、また、「ごみ」たる、不要な、意味の感じられない、欲(ヨク:欲しいという衝動)、という意味では、貪欲(やわらかく言えば、欲張り)、とりとめのない、理性的コントロールの感じられない無秩序・雑多な、欲、として現れること・もの、という意味にもなる(2)。

(1):「人の住家(すみか)塵(ちり)五木(こもく)の溜る程世にうるさき物なし」(「浮世草子」:不要物。邪魔なもの)。

「上様の土器(かはらけ)をごもくへ捨てて…」(「歌舞伎」:これは、ゴミ捨て場、のような意)。

(2):「それでは百人一首を五目(ごもく)に集めしばかりで、歌には成りませぬ」(「歌舞伎」:雑多に、意味なく、の意)。

「五目(ごもく)寿司」(さまざまな材料を欲張りに入れた混ぜ寿司)。