◎「こみ(浸み)」(動詞)
「けうみ(毛倦み)」。「け(毛)」は草(くさ)をそのように表現し(→「けぬ」の項)、ここでは稲(いね)、とりわけ成長中のそれ、をそう表現した。「うみ(倦み)」は不活性化し、活性力が衰化することを表現しますが、ここでは、成長中の稲が水没したり、過剰な量の水の中に置かれ続け活性力が衰化することを言う。なぜそうした事態が特別に表現されたかと言えば、とりわけ苗のころにそうしたことが起こり被害が生じることが多かったからでしょう。つまり「けうみ(毛倦み)→こみ」は、成長中の稲の活力が衰化することを言っているわけですが、そこで言われていることは稲が水没したり過剰な水の中に置かれる状態になることであり、稲の育成地たる田がそれをもたらす状態になることです。これが漢字では「浸」と書かれた。「浸(シン)」は水に浸(ひた)したり漬(つ)けたりすることです。
「『此(こ)の田(た)は、天旱(ひでり)するに漑(みづまか)せ難(がた)く、水潦(いさらみづ)するに浸(こ)み易(やす)し…』」(『日本書紀』:「いさらみづ」は、たちどころに広がり溜まる水(→下記))。
◎「いさらみづ(潦水)」
「いさはらみづ(『いさ』原水)」。『いさ…』は、『さぁ…』のようなものであり、よくわからない曖昧な状態であることを表現する(→「いさ(不知)」の項)。「いさはらみづ(『いさ』原水)→いさらみづ」とは、そうなったことがよくわからない状態で、いつのまにか、ふと気がつくと広い原のような状態になっている水。つまり、たちどころに溜り、そして雨が止めばまた消えていく…、そうした水。流水ではないが、安定した充実感のない水。「いさらゐ(いさら井)」「いさらがは(いさら川)」と言った語もある。どちらも水に充実感の乏しい井戸や川。
「是(こ)の日(ひ)に、雨(あめ)下(ふ)りて潦水(いさらみづ)庭(おほば)に溢(いは)めり」(『日本書紀』)。