◎「こまぬき(拱き)」(動詞)

「こめまぬき(籠め間抜き)」。手を籠め(抱え込むように胸前で折りたたみ)そこに生じた間(ま)にそれを抜き通す。これは「腕組み」をすることです。

「はてなと思ひ、暫(しば)し腕こまぬき」(「怪談牡丹灯籠」円朝)。

「拱 …コマヌク…」(『類聚名義抄』:「拱(キヨウ)」は『説文』に「斂手也」とされ(「斂(レン)」は「收也」とされ)、『廣韻』に「手抱也」とされる字:「拱手(キョウシュ)」は胸前で両手の指を重ね合わせる中国の礼作法も意味する)。

 

◎「こまねき」(動詞)

「コフまねき(劫招き)」。「劫(コフ:呉音)」は仏教系用語で極めて(絶望的に、といっていいほど)長い時の経過を意味し、その他、脅(おびや)かす、という意味もあり、また、この語は(無限循環に入るような)囲碁用語にもなっている。ここではその字の戯解であり、「劫(コフ)」の字を「力」と「去」に分解し、「劫(コフ)」招き→力去り招き、無力に招き、の意。無力に招く、とは、取りに行くのではなく、やってなど来ないものを、来ないものかと、招くことである。つまり、何もしない。「手をこまねく」の「手(て)」は、方法・策、の意。それを、つまり方法・策を、「コウまねき(劫招き)→こまねき」とは、自分から策を得に行くのではなく、やってこないか、と、あるいは、やって来るだろうと、あるいは、誰かがやってくれるだろうと、期待しているだけの状態であること。つまり、策が必要な事態であることは知っているが、何もしない。

この語は一般に「こまぬき(拱き)」(上記)の変化と言われる。「拱手」が何もしないことを意味することは有り得(「拱手傍観」)、語音は似ており混用などもあるではあろうけれど、「こまぬき(拱き)」は、策が必要な事態であることは知っているが、何もしない「こまねき」とは微妙に意味が異なる。ただし、「こまねき」が「こまぬき」の影響で生まれた戯表現の可能性はある。

「手をこまねいている間に事態はさらに悪化した」。