「こま(高麗)」は「コみや(高御家)」の音(オン)変化。「コ」は「高」の音(オン:日本での音は「カウ」。中華人民共和国での音は「カォ」。朝鮮・韓国では「コー」。『廣韻』に反切で書かれる音は「古勞切」(コウ、か))。「高」は高句麗の王族の姓(元々の姓は「解(日本で、ゲ(呉音)、中華人民共和国で、チエ)」と言われ、満州方面の者と言われている)。「コみや(高御家)」は後世の表現で言えば「高家(コウケ)」のようなもの。これを国の名として用いた場合、高一族の国、ということです。このような言い方が一般化したということは、この高一族の国には公的正当性を感じさせる安定した国号がなかったのでしょう。この高一族の国はその昔朝鮮半島北辺域あたりを中心としてあり、「高句麗(コウクリ)」とも言う。「高麗」とも言う(この「高麗」は、後、10世紀に朝鮮半島に成立し「高麗」を名のる国ではありません。それよりも古い時代の話です)。「コウクリ(高句麗)」という称号は、徴税その他の際「高君令(コウクンレイ)だ:高君の命令だ」(「高」は姓。「君」は尊号)と表現し、「コウクンレイ(高君令)」の国と呼ばれそれが国の名となり、同じような音(オン)、同じような意(高の句(言葉)は麗(うるは)しい)を考え良い字が捜され選ばれ「高句麗」と書かれたものでしょう。「句(君)」が省かれ「高麗」にもなる。つまり、「高句麗」は「高君令」であり、「高句麗」「高麗」は「高(コウ)の命令」を意味する中国語の文字替えということです(後に10世紀に半島に成立する「高麗」は、そこで最初に「王」を自称した者がそれ以前に仕えていた男(この男も高句麗王族が国の再興を期したというわけではない)が高句麗の再興を言っていたことにも影響されているのではありましょうが、要するに、自分を権威づけるためにその権威を借り新羅に対抗し得ると思われる国が高句麗以外見当たらなかったということです)。

高句麗が滅亡(668年)した後、その関係の者が満州地域に起こした国「渤海(ボッカイ)」(698年~。当初は「震国」)も「高麗」と書かれた(「こま」とも言われたでしょう)。「高麗」が、日本では、「コウリ」や「コウレイ」ではなく、「コウライ」と読まれるのは、渤海を、高麗(コウリ)の輩(ハイ:ともがら。仲間)という意味で、「コウリハイ(高麗輩)→コウライ」と呼んだことによるのでしょうか。日本では「麗」の音(オン)は一般に「レイ」です。