◎「このしろ」

「このしろ(子の代)」。「しろ(代)」は何か(A)に相当する価値のある何か(B)( 「身代(みのしろ)金」などのそれ)。「こ(子)」はここでは元本(親)から生じる・元本(親)が生む利益(子)、すなわち利息を意味しますが、古代では元本と利子が明確に区別され計算されてはいないでしよう。すなわち、「このしろ(子の代)」は、債権(債務者としては債務)から生じる利益(子)に価値として相当する何か、債権(債務)の担保でもあり代物弁済でもあるもの・こと、です。「価値として相当する何か」として古代で一般に問題になるのは働き(労働)です。つまり、債務が返せない場合、その代わりとして無償で働く。これが無制限にはびこると人は債務奴隷になる。『日本書紀』持統天皇(女性)・元年七月にある詔(下記)は、「このしろ」たる働きはある程度必要なのかも知れないがあまり長いことやってはいけない、という趣旨でしょう。持統天皇は人が債務奴隷化することを非常に気に病んでいたようです。後(持統天皇五年三月二十二日(下記))には、「こ(子)」(債権から生じる利益)のようにして「やつこ(家つ子)」(私民)になったもの(つまり、債務の弁済として「やつこ」にされたもの)は「おほみたから」(公民)にしろと詔している。ちなみに、この処置は、(親が男であれ女であれ)「やつこ」(私民)の子は「やつこ」につける(すなわち「やつこ」)という、子の帰属に関する大化改新の詔の原則が「このしろ」にされた者においては破られるということです。これはその者が本当に子供である場合は親の責任が放棄されているということでしょうし、それが成人である場合も、子の帰属に関する大化改新の詔は建前的なものであり容易に破られるということです。「公民」「私民」に関しては「おほみたから(百姓)」の項(2020年12月4日)。

(参考)

「凡(およ)そ負債者(もののかひおへるもの)、乙酉年(きのとのとりのとし)より以前(さき)の物(もの)は、利(このしろ)收(と)ること莫(まな)。若(も)し既(すで)に身(み)を役(つか)へらば、利(このしろ)に役(つか)ふこと得(え)ざれ」(『日本書紀』持統天皇元年秋七月(ふみづき)甲子(きのえねのひ:二日):「このしろ」(子の代)は上記)。

「…若(も)し貸倍(かりもののこ)に准(なぞら)へて賤(やつこ)に沒(な)れらむ者(もの)は、良(おほみたから)に從(つ)けよ」(『日本書紀』持統天皇五年三月(やよひ))癸巳(みづのとのみのひ:二十二日):「かりもののこ(借り物の子)」は、借りたものの利息、という意味になりますが、「かりもののこになぞらへて」という表現は、利息になぞらえて、という意味ではなく、かりたものの総的な利として、という意味であり、借りたものを返せなければその代わりとして、という意味でしょう)。

 

◎ 「このしろ」「こはだ」(魚名)

「こうをのしろ(子魚の代)」。これは魚名ですが、この魚は、若いというか、ある程度幼い魚の方が好まれ、成長するとまるで子(こ:幼魚)の代わり(しろ:代)のような扱いをされるから、ということ(現代でも、市場価格は幼魚の方が高価)。この「このしろ」の幼魚が寿司ネタで有名な「こはだ」ですが、これは、「こはあだ(子は徒)」ということ。成長しても「このしろ(子の代:子の代用物)」になるわけであり、子であることに意味がない。子であっても徒(あだ:無駄)ということ。この「このしろ」の別名に「つなし」がありますが、これは「つなしり(綱領り)」の「り」の脱落。背鰭(せびれ)の後ろ端が糸状に伸び、まるでなにものかに綱をつけられ動きを統御されているようであるから。

「鯯魚 此(こ)れをば舉能之慮(このしろ)と云(い)ふ」(『日本書紀』:これは人名)。

「 …汝が恋ふる その秀(ほ)つ鷹は 松田江の 浜行き暮らし つなし(都奈之)捕(と)る… 」(万4011)。

「鰶 このしろ つなし 和名古乃之呂又云豆奈之 関東 名古波太」(『和漢三才図会』)。