◎「ことさか」

「ことそはか(言背努果)」。「そ(背)」は「せ(背)」のO音化であり情況化表現。方向性が期待や一般と逆であることを意味する。「はか(努果)」は成果。「ことそはか(言背努果)→ことさか」は、言(こと)において背努果(そはか:期待や信頼に背く、逆の、成果)ということであり、成果(現実の事態)が言(こと)に背(そむ)いていること。背信していること。『日本書紀』(孝徳天皇・大化二年三月甲申(きのえさるのひ:二十二日))に、妻に嫌がられ去られた男が「あながち(強ち)」に元妻の「ことさか」を言い立て、その「ことさか」の「めやつこ」(女家つ子:女の、家に属す下働きのような者)にするという古代の民事問題の例がある(「あながち(強ち)」に債務の不履行を言い立てたということでしょう。拉致監禁でもすれば刑事問題になりそうです)。「ことさか」の「やつこ」とは、債務の弁済として家で無償(ただ)働きさせるものでしょう。

『古事記』雄略天皇の部分に「言離之神」なる神が登場しますが、これは「ことさかのかみ」でしょう。この「さか」は動詞「さかり(逆り)」などの「さか(逆)」でもありますが、「そはか(背努果)」により反対向的に動けば分離も起こり「離」とも書かれる。原文は「吾者雖悪事而一言 雖善事而一言 言離之神」(吾(あ)は悪事(まがこと)も一言(ひとこと) 善事(よごと)も一言(ひとこと) 言離之神(ことさかのかみ))。これは、不吉事(まがこと)も一言で吉事(よこと)に、吉事(よこと)も一言で不吉事(まがこと)になる言語効果の神ということでしょう。原文「言離之神」は一般に、言(い)ひ離(はな)つ神(かみ)、と読まれている。

 

◎「ことさへく(枕詞)」

「ことそはへきゆ(言『そは』へ消ゆ)」。「そ」は何かを指し示す。「へ」は目標感のある、それへの進行感・方向感を表現する助詞。「こと(言)」が『そは』(それは)へ消える、とは、そのことやそのものが何なのか言語表現しようとしてもその努力の中へ言葉が消える、ということです。これが言葉の通わぬ地域、「から(韓)」や「くだら(百済)」にかかり、言葉にならないような思いがあることも表現する。

「ことさへく百済(くだら)の原ゆ神葬(かむはぶ)り葬(はぶ)りいまして…」(万199)。

「つのさはふ 石見(いはみ)の海の 言さへく 辛(から)の埼(さき)なる ……玉藻なす 靡(なび)き寝し子を ……さ寝し夜は 幾(いく)だもあらず …別れし来れば …かへり見すれど ……妹が袖 さやにも見えず……」(万135:「辛(から)の埼(さき)」は地名であろうけれど、具体的にどこかは明瞭ではない)。