◎「ことごと(悉)」
「けをとこふと(気をと乞ふと)」。「けを」は「こ」になり「こふと」は「こほと」のような音(オン)を経つつ「ほ」の子音は退化した。「気(け)をと乞(こ)ふ」とは、何か自体ではなくともその気(け)を、と、それを思わせるその気配でも、と、何かを想い願い求める、ということ。語尾の「と」は思念的に何かを確認する助詞であり、「けをとこふと(気をと乞ふと)→ことごと」は、「気(け)をと乞(こ)ふと」、何か自体ではなくとも、その気(け)を思わせる何かでもと想い願い求める、と、何かの動態や情況があることを表現する。たとえば「有りの気(け)をと乞(こ)ふと着(き)→有りのことごと着(き)」は、「有る」という気(け)を願い・求め、探す状態で着る。つまり、着ることを想い、願い、求め、探したものすべてを着る。それが「ことごと(悉)」。
「寒くしあれば……布肩衣(ぬのかたぎぬ)有りのことごと着添へども寒き夜すらを」(万894)。
「たのめりし人のことごと草枕旅なる間に…」(万460:気(け)をと乞ふと…それはすべて旅にある。頼みにしている人たちがすべて旅に出ていない間に…。旅に出て家の人がいなくなり大伴坂上朗女がひとりで留守番をしている間に家で、ともに暮らしていた尼が死に、これはそれを伝える文)。
「ことごと疑ひなく后(きさき)がね(当然后になると思われている人)とかしづき聞え給へるに」(『栄花物語』:疑わしい気(け)は、と乞ふと…)。
「沖つ鳥かもどくしまに我がゐ寝し妹(いも)は忘れじ世のことごとに」(『古事記』歌謡9:この歌に関しては「かもづくしま」や「ゐね(結寝)」の項)。
この「ことごと」が、認知されるすべて、考えられるすべて、を意味しそれを語幹とした「ことごとく(悉く)」という表現もある。
◎「ことごとく(悉く)」
「ことごと(悉)」を語幹とした形容詞表現を連用形で(動態形容として)もちいたもの。これは漢文訓読系の表現のようです。
「心に悲しび喜ぶることを生(な)し涕涙を交へ流し挙(ことごと)く身の戦(ふる)ひ動く」(『金光明最勝王経』)。
「よからぬ事どもうち続きて五穀ことごとくならず」(『方丈記』)。
この「ことごと(悉)」の語源の理解のポイントになるのは、やはり、助詞「と」の用いられ方でしょうか。この「と」は思念的確認であり、同動・連動を表現しますが、「AとB」が「AとあるB」を表現し、「A」「B」が動態であることもある。「彼は行くと思ふ」と言った場合、通常、思ふことの内容として「行く」が思念的に確認される。しかし、「行くと思ふ」という表現で、「行く」という動態で思ふ、「行く」とある「思ふ」、と表現することも可能です。その場合その人は思ひにおいて行(い)っている(「花と咲く」の場合「咲く」という動態が「花」になっているわけですが、この「花」の部分が、名詞ではなく、動詞になっている。たとえば「燃ゆると咲く」。「彼と行く」なども、彼と同行する、を表現することが一般ですが、花と散る、などのように、彼として行く、を表現することも可能です)。同じように、「乞ふと見る」は、「乞ふ」という動態で見る。その人は見ることにおいて乞ふている。それが「気(け)を…」と乞ふている場合、「気(け)をと乞(こ)ふと見(み)→ことごと見(み)」。それが「着(き)」なら、「ことごと着(き)」。