「くはこと(来は此と)」。「くはこ」が「かこ」のような音(オン)を経つつ「が」は「こ」を濁音化させつつ意味として主たる「こ」が残り「ご」になった。「く(来)」は「き(来)」の終止形であり、この語尾U音化は動態の遊離感(→「いく(幾)」の項)、それゆえの想的動態や未来的な動態を表現する。その「き(来)」は、客観世界においてではなく、脳において来る。すなわち、認め・思いとしてそれが到来する。「は」は提示の助詞であり、「こ(此)」は現存的・特定的に何かを指し示し、「と」は思念化する助詞。「Aくはこと(来は此と)→Aごと」は、Aの認め・思いとしての到来はこれと、の意。
「けだしや鳴きし吾(わ)が恋ふるごと」(万112:たしかに鳴いた。私が恋ひている動態の到来はこれと(私はそのように恋ひている))。
「梅の花今咲けるごと散り過ぎず…」(万816)。
Aは動態・動詞も名態・名詞もあり、所属も主格も表現する助詞「の」や「が」が入りもする。名態や動態の想的到来はこれと、ということです→「神のごと」、「かくのごと」、「今咲けるごと」、「身をかへたるがごと」。「道(みち)の後(しり)古波陀(こはだ:地名?)嬢子(をとめ)を雷(かみ)のごと聞きこえしかども…」(『古事記』歌謡46)。「身をかへたるがごと成りにたり」(『竹取物語』)。
この「ごと」はク活用形容詞の語幹のような用いられ方をする。これは「ごとよし(如良し)」の「よ」の無音化。意味は、「ごと(如く)」として、名態や動態の想的到来として、自信をもって受容できる、ということ(→「よし(良し)」の項)。ならば「ごとし」は形容詞では?と思われそうですが、文法ではこれは助動詞に分類されている。たとえばク活用形容詞「あかし(赤し)」の場合、語幹による「あかだま(赤玉)」といった用い方がありますが、「ごとし(如し)」の場合、「ごと」は、名態や動態の想的到来はこれと、と表現しており、何の想的到来なのかが表現されず「ごとたま(如玉)」などと表現されることはない。また、想的到来以外の何かを期待するような已然形「ごとけれ」も事実上ない。たとえば「桜咲くがごとけれど」(桜咲く想的到来があるようなないような…)。
「行く水の水沫(みなわ)のごとし」(万1269)。
「吾(あ)がごとく君に恋ふらむ人はさね(決して)あらじ」(万3750)。
「年月(としつき)は流るるごとし」(万804)。