「けおと(気音)」。「け(気)」(その項)になる音(おと)。「け」による、そのK音とE音による、外渉的交感があり、気づかれる、無(な)いが有(あ)る、(見えないが)存在感が作用する、「音(おと)」(その項)。それが「けおと(気音)→こと(言・事)」。なぜそうなるのか、人にはわかりせまんが、特別な気づかれ、存在感の発生、のある音(おと)。その「けおと」たる音(おと)は人の口から発せられる。その声帯や口蓋内の運動変化や呼吸運動によりさまざまな音が発せられる。それは、風の音、波の音、川などの水流、岩石、その他による自然音ではない。それは人の生命活動たる運動音(オン)。「ひと(人)」という生命体は進化し、そうなり、「けおと(気音)→こと(言・事)」を得た。なぜそうなるか、なぜそうなったのか、はわかりませんが、人(ひと)はそうなった。そして人は「こと」を記憶し、その体験内容は記憶され、「こと」により時空を超え、伝承もされる。
その「けおと(気音)→こと」には二つの意味作用がある。
一は、その「け(気)」たる音(おと)。特別な、気づかれ、存在感の作用、の起こる音(おと)。つまり、「けおと(気音)」の「おと(音)」。言(こと)。
一は、「けおと(気音)」たる音(おと)によって気づかれ、想起され、伝達されるものや現象。つまり、「けおと(気音)」の「け(気)」。事(こと)。
・言(こと)
「遙遙(はろはろ)にこと(渠騰)そ聞(き)こゆる島(しま)の藪原(やぶはら)」(『日本書紀』歌謡109:不穏なことが起こることを予兆する俗謡)。
「…朝霧の 乱るる心 こと(許登)に出でて 言はばゆゆしみ…」(万4008)。
「旅といへばこと(許等)にぞやすきすくなくも妹に恋ひつつすべなけなくに」(万3743)。
「八田(やた)の 一本菅(ひともとすげ)は 子(こ)持(も)たず 立(た)ちか荒(あ)れなむ あたら菅原(すがはら) こと(許登)をこそ 菅原(すがはら)と言(い)はめ あたら清(すが)し女(め)」(『古事記』歌謡65)。
「たらちねの母の命(みこと)のこと(言)にあれば年の緒長く頼め過ぎむや」(万1774)。
「ありありて後も逢はむと言のみを堅く言ひつつ逢ふとはなしに」(万3113)。
「むかし、男ありけり。その男伊勢の国に、狩の使いにいきけるに、かの伊勢の斎宮なりける人の親、「常の使よりは、この人、よくいたはれ」といひやれりければ、親のことなりければ、いと懇(ねむごろ)にいたはりけり」(『伊勢物語』)。
「もろこし(唐)とこの國とはことことなる(言異なる)ものなれど…」(『土佐日記』)。
「波の共(むた)靡(なび)く玉藻の片思(かたもひ)に我が思ふ人のこと(言)の繁けく」(万3078:噂が激しい)。
・事(こと)
「…吾(わ)が大君の 諸人(もろひと)を 誘(いざな)ひたまひ よきこと(善事)を 始めたまひて…」(万4094)。
「…次には手書くこと(文字を書き、習うこと)。むねとすることはなくとも、これをならふべし」(『徒然草』)。
「上つ毛野(かみつけの)佐野田(さのだ)の苗のむら苗にこと(許登)は定めつ今はいかにせも」(万3418)。
「明くればおき、くるれば臥すをことにてあるぞ、いとあやしく覚ゆれどいかゞせむ」(『蜻蛉日記』)。
「是川(うぢかは)の水泡(みなわ)さかまき行く水のこと(事)かへらずぞ思ひそめてし」(万2430:「是川」は、同じく「是川」と書かれる前歌・万2429の類歌・万2705が「此川」と書かれていたりすることから、このかは、と読む説もある。「うぢ」と読むのは「是」と「氏」は音も意も同じといっていい字だから)。
「常磐(ときは)なすかくしもがもと思へども世のこと(許等)なれば留みかねつも」(万805:「世のこと(許等)」とは、人の老い、そして死)。
「受領(ずりやう)といひて、人の国のことにかかづらひ営みて、品定まりたる中にも…」(『源氏物語』)。
「すなほなりける人にて、こと隠して言ひければ…」(『篁物語』)。
「吾が背子は物な思ほしこと(事)しあらば火にも水にも吾(われ)なけなくに」(万506)。
「…といふを、あさましと人共きゝて、山ぶしが顔をみれば、すこしも事と思たるけしきもせず、すこしまのしゝたるやうにて(少し間抜けな様子で?)…」(『宇治拾遺物語』)。
「なかなか、かかるものの隈(くま)にぞ、思ひの外なることも籠もるべかめると、心づかひしたまひて」(『源氏物語』)。
「かく今はの夕べ近き末に(こんな、生も日も暮れ終わりそうな末に)、いみじきことのとぢめを見つるに」(『源氏物語』:「ことのとぢめ」とは、人の死)。
「くれくれに御こと卅五にてきれおはしまして」(『御湯殿上日記』:人との永遠の別れが訪れること、死ぬこと、を「こときれる(こと切れる)」と言ったりもする)。
「万世(よろづよ)に年は来経(きふ)とも梅の花絶ゆること(己等)なく咲きわたるべし」(万830)。
「ゆく河のながれはたえずして、しかもゝとの水にあらず。よどみにうかぶうたかたは、かつきえかつむすびて、ひさしくとゞまる事なし」(『方丈記』)。
「次から次と出てくること出てくること」(出て来る現象が確認強調されている)。「そういうことはしないこと」(しない動態が確認強調されている)。