「夢に見えこそ…」(夢に見えますように…)などと言う場合の、文法で「終助詞」とも言われる(希求が果たされることを表現する「こせ」(動・助動:その項・3月3日)の古い命令形、その他を言う国語学者もいる)、希求を表現する「こそ」です。
「こふさを(乞ふさを)」の音変化。
動詞「こひ(乞ひ)」は何かを希求することを表現する。それは何かが「来る」という動態状態で追っていること、追求状態にあること、を表現する(→「こひ(祈ひ)」の項)。「乞」の字はこの動詞の表記としてふさわしくないのですが、ここでは慣用に従います(→「こひ(祈ひ)」の項)。
「さ」は「さる(然る:さ有る)」「さほど(さ程)」「さにあらず」その他にあるような、情況を指示する「さ」です。
「を」は助詞ですが、これは、「瀬を早み」(瀬の状態で早まり)のそれのように、状態を表現する。「乞うさを→こそ」は「乞うさ(乞うそれ)」の状態、ということです。
この「こそ」は動詞連用形とともに言われ、その動詞で表現される名詞化した動態状態が来る(現実のこととなる)動態状態で追っている、追求状態にある、その、(「さ」の)、情況に…、(「さ」の)情況「を」…)、と自分の情況状態をただ提示することで願いの現実化を神に伝えようとする。私はそんな状態にあります、とただ自分の窮状を訴えているわけです。それにより何かを希求し、願望し、祈り、願っている状態にあることが表現される。たとえば「病(やまひ)治(なほ)りこそ」は、「病(やまひ)治(なほ)り…乞(こ)ふ、さを」ということであり、私は病が治ったその状態が来るという動態状態で追っている、そんな状態にあります、と言っている。これを動詞「こふ(乞ふ)」の構造も分解して記せば、病治り・来(く)を追ふ・さを…。病治り、で治った状態が夢想され、その状態が来るという状態で追っている、そんな状態にあります、ということ。それを神に訴える(聞いてもらおうとする。その聞(き)き(効(き)き)を得ようとする)。
「現(うつつ)には逢ふよしもなしぬばたまの夜の夢にを継ぎて見えこそ」(万807:継ぎて見え祈(こ)ふ。さを…。夜の夢の状態で次々といくども見え…祈(こ)ふ、それを…(乞ふ、ではなく、祈ふ、の字で書いた。この場合の「さ(それ)」とは、夜の夢に幾度も幾度も見え続けること。つまり、せめていつまでも夢だけでも見続けられますように、ということ)。
「鶯の待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ子がため」(万845:散らずにありますように)。
後世では願い事は「~ように」と表現されますが、これは「~の様(さま)に」と情況をただ提示している。つまり、たとえば『彼に会えますように…』と『彼に会ひこそ…』は表現は似ている(ただし、会ひこそ…、のほうが表現は切実)。
『万葉集』(万3004)その他や姓で「社」が「こそ」と読まれていますが、これは、たとえば、「安くありこそ」(平安でありますように)や「雨たまひこそ」(雨を賜りますように)等々と、その昔、社(やしろ)で願い事・祈りごとをし、それにより「社(やしろ)」に「こそ」の場としての印象が定着し、それにより「こそ」が「社」と書かれ、そう読まれもするようになったのでしょう。