「こころやみあやし(心病み怪し)」。動詞「やみ(病み)」は、原意は、安定感の失われた、不安定な、複雑動態情況に、絡み合い混乱し、自分でもほぐし当たり前の健全な動態情況、とりわけ自己の身体たる生体情況に、なすことができない情況になること。後世では身体に関し言うことがほとんどですが、原意としては思いに関しても言います(→「やみ(病み)」の項)。「あやし(怪し)」は、後世では、未知の害意・悪意が感じられ、それによる不信・疑惑が沸いてくることを表現する傾向が強くなりますが、原意は、疑惑が次々とわき、知が及ばず判断ができないことを表現する。かならずしも未知の害意・悪意が感じられることを表現するわけではありません(→「あやし(怪し)」の項・下記に再記)。すなわち、「こころやみあやし(心病み怪し)→こころやまし」は、心(こころ)として、なぜそうなるのか明瞭に把握できない動態として、不安定な、自分でも処理できない複雑動態情況が次々と湧き上がる状態になること。
「…と言ひて、 わが妹の姫君はこの定めにかなひたまへりと思へば、君の(源氏の)うちねぶりて言葉まぜたまはぬを、さうざうしく(寂寥感、ものたりなさを感じ) 心やましと思ふ」(『源氏物語』:「わが妹の姫君はこの定めにかなひたまへり」と思い、源氏も当然そう思っただろうと思ったがそんな様子はまったくなく、こころやまし、と思った)。
「まことに心やましくて、 あながちなる御心ばへを、 言ふ方なしと思ひて、泣くさまなど、いとあはれなり」(『源氏物語』:この「心やましくて」は、どうしたらよいかわからなくて、のような意。現代的な意味で、心にやましいことがあり、という意味ではない)。
「…。中へだての壁に穴をあけて、のぞかせ給ひけるに、女御の御容(かたち)のいと美しうめでたくおはしましければ、うべ時めくにこそありけれと御覧ずるに、いとど心やましくならせ給ひて、穴よりとほるばかりのかはらけのわれして、打たせ給へりければ…」(『大鏡』:妬(ねた)み心にとらわれ瓦(かはらけ)の割れをなげつけた)。
「また耳慣れ給はぬ手などこころやましきほどに(琴を)弾きさしつつ」(『源氏物語』:敗北感にとらわれるほどみごとに)。
◎「あやし(怪し)」(形シク)
「あわややし(泡ややし)」。「わ」の子音は退化した。「や」は疑惑を表明する発声→「や(助)」の項。その「や」が二度重なった形容詞表現。「あわややし(泡ややし)」は、泡が次々と浮かんでくるように疑惑がわいてきていることを表現する。知が及ばず判断ができないことを表現し、それほど深遠な意味を感じていることも表現するが、時代が下るにつれ、(非難的に)理解できない、という意味、さらには、未知の害意・悪意が感じられること、それによる不信、の心情表明に傾いていくように思われる。
「函(はこ)には舎利有り、色妙にしてあやし」(『金光明最王経』:この「あやし」は未知の悪意や害意、それによる不信、を感じているわけでなく深遠な意味を感じている)。
「人の足音を聞て、隠るる事のあやしく」(「浮世草子」)。
※ この「こころやまし」以外、他にも「こころ~」といった表現はいくつかとりあげられていますが、この「こころ~」といった語や慣用的表現は非常に多い。ましてや、こころに~、こころの~、こころを~、といった表現も考えれば、くわしく数えたことはありませんが、四・五〇〇あるかもしれない。