「ここうち(ここ打ち)」。「ここ」は心臓の鼓動を表現する擬態。「こ」の連音がその連続を表現しているわけです。「うち(打ち)」はなにごとかを現すこと→「うち(打ち)」の項。すなわち「ここうち(ここ打ち)→ここち」は、原意は心臓の鼓動の現れ。動態たる現れ。そして、それにより、それにより現れる心情や体調の状態、情動状態、理性的状態、生理的肉体的状態すべてが表現される→「ここち良い音楽」。情態的な気分、心もちの状態が何かによってその心もちを受ければその何かの印象も「ここち」になる→「居ごこちがいい」。

「西の君も、物恥かしき心(ここ)ちして、渡り給にけり(帰っていった)」(『源氏物語』)。

偶発的心情だけではなく、発育状態や知的状態も含め、その人から感じられる一般的状態も言う。「まだいと若き心地(ここち)に……えしも思わかず(分別判断できない)」(『源氏物語』:まだとても若い人格的状態で…)。

「御心地もやみ(止み)」が心情状態が平穏になること、すなわち病気がおさまることを意味したり、「ここちもまさり」が変動が激しくなり平穏が乱れること、病勢がすすむことを意味したりもする。「ここちつく」は安定したここちになる。「ここちなし」は特別な配慮や注意がない。「ここちなやむ」は病気になる。「ここちおこたりて後(のち)」(『古今集』789詞書)は「心地そこなへりけるころ」の後に書かれるものであり、「ここち」自体が体調がすぐれないことを意味している。「おこたり」はそれが小康を得たこと。