「こぐをいしいしし(漕ぐを石石し)」。「いしいしし」は「し」の一音に無音化している。「こぐ(漕ぐ)」は「こぎ(漕ぎ)」の連体形であり、深く積もった雪をかきわけて進むような動態を表現するもの(→「こぎ(漕ぎ)」の項・2月3日)。「を」は状態を表現する。「いしいしし(石石し)」は「いし(石)」を語幹とするシク活用形容詞表現であり、いかにも石だ、ということ。漕ぐこと(かきわけて進むこと)がいかにも石、とはどういうことかというと、いかにも大小の石をかきわけて進んでいるようだ、ということです。すなわち、大小の石ばかりの、進むことが困難・険難な状態になっている。そうした状態であることが「こぐをいしいしし(漕ぐを石石し)→こごし」。

この語は「ここし(凝凝し)」ではないでしょう(それがこの語に関するほぼ常識的な理解です)。その場合にはただ凝り固まったように堅い。「こごし」は進むことの難渋さ困難さが表現される。

「磐が根のこごしき(凝敷)山を越えかねて哭(ね)には泣くとも色に出でめやも」(万301:この進行の困難さは(妹により)うしろから引かれていることによるものであり、越えかねて哭いてはいるが表(おもて)に出すことはできない、そんなつらい思いで私は行く、ということか)。

「神さぶる磐根こごしき(己凝敷)み吉野の水分(みくまり)山を見れば悲しも」(万1130:この進行の困難さとは近寄りがたさです。「かなし」は、悲嘆にくれているわけではなく、見ることのできない遥か彼方を見ているような思いの表明)。

「岩が根の こごしき道の」(万3329)。「岩が根の こごしき道を」(万3274:この万3274と先記万3329は表現が酷似している)。「岩が根のこごしき山に入りそめて…」(万1332)。「…古ゆ あり来にければ こごしかも 岩の神さび たまきはる 幾代経にけむ…」(万4003:その進行の困難さは神聖さによる近寄り難さもあらわしている)。「こごしかも 伊予の高嶺の」(万322)。「あしひきの いはねこごしみ すがのねを…」(万414:これは「こごし」が動詞化した「こごしみ」。意味は、進みがたくなっているということであり、これはある女性との関係を言っている)。