「きふをけ(着生小毛)」。「くをけ」のような音を経、「こけ」になった。「ふ(生)」は、「しばふ(芝生)」などにもあるそれであり、繁茂を表現するそれ(→「ふ(生)」の項)。「きふ(着生)」は、岩であれ木であれ地であれ、何かがそれを着るような繁茂、ということ。「を(小)」は、小(ちい)さい、ということであり(→「をがは(小川)」)、「け(毛)」は草(くさ)を意味する→「けぬ」の項。「きふをけ(着生小毛)→こけ」は、岩であれ木であれ地であれ、それを着るような繁茂たる小さな草(くさ)、の意。その繁殖態様の印象的な特徴による名。植物学的には蘚苔類(センタイルイ)や地衣類(チイルイ)と言われる(一部は羊歯(しだ)類も)植物の一種の名。それらは地や木(特に倒木や朽ち木)や岩表面などに密集群生しそれら表面を覆うように生(お)う。

植物たる苔(こけ)の美しさを表現するようなことは古代ではないように思われます。古代では「こけむす(苔生す)」という表現が永い歳月がながれること、ながれていること、を表現する。ながれている場合は、それが起源がわからないほど古いことを表現する。とくに、「こけむすまでに」という表現が多い。

「葦原の 瑞穂の国に 手向けすと …………石枕(いはまくら) 蘿(こけ)生(む)すまでに 新夜(あらたよ)の 幸(さき)く通はむ 事計(ことはかり) 夢に見せこそ(夢爾令見社:夢に見せてください) 劔刀(つるぎたち) 斎(いは)ひ祭れる 神にしませば」(万3227:「つるぎたち(劔刀)」は生死がかかった決断を表現しているということでしょう)。

「苔 …和名古介 水衣也」(『和名類聚鈔』:「水衣」は中国語で水藻(みづも)のこと)。

「わか(が)君は千世にやちよにさされいしのいはほとなりてこけのむすまて」(『古今集』(※(1)))。

 

※(1) この歌は『古今集』(『古今和歌集』:成立は905年とも言われますが、必ずしも正確ではない。しかし、平安時代初期のものであることは確か)にあるものですが、国歌『君が代』とは一句が少しちがう。『君が代』と同じ歌は『和漢朗詠集』(1013年頃)その他にある。この歌はまるで俗謡のように広まり伝承されているものであり、たとえば、僧であれなんであれ、長寿を祝う宴などが設けられたさい、そこで歌われた。『古今集』にあるものも、「読人しらず」とされていますが、当時世の中に伝承されていたものでしょう。

歌としては、「苔(こけ)生(む)す」は永い歳月をへること・へたことを表現するわけですが、問題は「さざれいし(細石:細かな石)が巨大な巌(いはほ)になる」という表現です。自然現象を表現したものとしてはこれは不自然(※(2))。思うに、これは比喩表現であり、雑多不安定な素(ソ:さざれいし)が磐石な、全存在が均質に一つになった安定を得、それは空間的に安定した揺るぎない確固たるもの(いはほ)であり、それは空間的に安定した揺るぎない確固たる世界であり、世(よ)であり、時間的に安定した確固たる世界であり、世(よ)である、すなわち永遠である、世界たる世になる、それが「さざれいし(細石)が巌(いはほ)になる」ことであり、それが「苔(こけ)の生(む)すまで」であるということでしょう。「きみがよ」はそういう世なのだということは、あなたはそういう世にいるということであり、あなたはそういう世にいる尊(たふと)い人だ、ということです。なぜそれが尊いのかといえば、永遠の世界にあること(事・言)は真理だからです。

 

※(2) この「さざれいしのいはほとなりて」に関しては、この「さざれいし(細石)」が集まってできた岩とは礫岩(レキガン:含まれる石次第では建設瓦礫のような印象の堆積岩(砂や石の周囲がコンクリート化して固まった塊))であり、文徳天皇の皇子惟喬(これたか)親王に仕えた木地師が『古今集』にある歌をつくり、後に「藤原朝臣石位左衛門」という名を賜り…といった話もあるのですが、これは「岐阜県春日村に伝わる伝承」だそうです。「さざれいしのいはほとなりて」という表現に不自然さを感じたなにものかが歌に真実性をもたせようとそう言ったのでしょう。