◎「こ(此)」

K音の交感とO音の目標感(「おき(置き)」の項(2020年9月2日)参照)により気づき対象感(存在感)が生じ、現在性(現(ゲン)に在(あ)り、の性)・特定性を表現する。ここで表現される対象感・存在感は何かを指し示す。指し示しはS音の動感による記憶再起的なものではなくK音の気づきによる現状確認的なものであり、A音のような特定性・個別性のないものでもなくO音による特定的・個別的なものとなり、現存(現(ゲン)に存(あ)り)的・特定的なものになる。「これ(此れ)」「この(此の)」「こなた(此方)」「ここ(此処)」(最初の「こ(此)」)「こち(此方)」「こちら(此方)」。

「ああ しやごしや こはあざ笑ふぞ…」(『古事記』歌謡10:この「こ」は「これ」と言っているのと意味はほとんど変わらない。「ああ しやごしや」は「しやごしや」の項)。

「…沖つ鳥胸(むな)見るとき はたたぎも こ(許)も適(ふさ)はず…」(『古事記』歌謡5:「はたたぎ」は「はたたぎ(畑田着)」。畑や田で(働く際に)着るもの。野良着。「はたたぎもこれは適(ふさ)はず」(「はたたぎ」にもこれは相応(ふさは)しくない→それほどにひどい)。)。

「この御酒(みき)は我が御酒(みき)ならず…」(『古事記』歌謡40)。

「忘れ草生ふる野べとは見るらめどこは忍ぶなり後もたのまむ」(『伊勢物語』:忘れ草が生ふ野を見る思いがひろがる…これは忍ぶということだ。これは、忘れ草を忍ぶ草とも言うが、という言葉に応えた歌)。

「『限りとて忘れがたきを忘るるもこや世になびく心なるらむ』」(『源氏物語』「梅枝」末尾)。

 

◎「こ(処)」

「こ(此)」にある目標感(存在感)のある気付きにアクセントによる思念が加わり、思念的凝固感・存在感となり、現在性(今、在り、の性)、個別感(具体的現実感)が表現される。「かしこ(彼其処)」、「あしこ(彼其処)」、「あそこ(彼其処)」、「ここ(此処)」(二番目の「こ(処)」)、「そこ(其処)」、「どこ(何処)」。

「旅にして妹に恋ふればほととぎすわが住む里にこよ鳴き渡る(ここより鳴き渡る)」(万3783:この「こ」は、ここ(此処)、と同じと思って問題ない。「ここ(此処)」の語頭の「こ」が脱落したような「こ」)。