「きゐを(着居緒)」。「き(着)」は、「自己への存在化として自己への帰属を、表現し、I音によるその動態進行がその持続を表現し」(「き(着)」の項・2021年(去年)7月20日)ということであり、「ゐ(居)」は現実存在を表現し、「「を(緒)」は紐状の長いものを表現するが、これが臍(へそ)の緒(を)も意味し、それが、それによる人間関係、つながり、すなわち遠い古代以来の「を」による人間のつながり、とりわけ影響のあるのは血族や親族や家族や先祖・子孫の関係、その関係にある人たち、といったことを表現する」(「いも(妹)」の項・2020年3月17日)。「きゐを(着居緒)→こ」は、着(き)て(自己への存在化として自己へ帰属し)、現実存在となっている、緒(を)。なにを着ているのかといえば、それは「を(緒)」であり、なにが着ているのかといえば、それは「を(緒)」です。つまりそれは、「を(緒)」が現実存在化した「を(緒)」なのです。そして「を(緒)」は「紐状の長いものを表現するが、これが臍(へそ)の緒(を)も意味し、それが、それによる人間関係、つながり、すなわち遠い古代以来の「を」による人間のつながり、とりわけ影響のあるのは血族や親族や家族や先祖・子孫の関係、その関係にある人たち、といったことを」意味する。この語の原意は、自分の体から紐状のものでつながりつつ出て来た新たな生命体を表現したものでしょう。つまり「こ(子)」は、緒(臍の緒)を着てゐる(臍の緒の効果が発生している)緒(子孫)。すなわち、母の「を(緒)」にあるもの。では、自分がその「を(緒)」を着てゐない子は「こ(子)」ではないのかと言うと、そうはならず、人がその「を(緒)」を着てゐない、そしてその者が「を(緒)」を着てゐない、子(こ)は世にゐることはなく、「はらから(同胞:腹から)」として自分がその緒(を)を着てゐない子(こ)は世にゐない。「こ(子)」はそのような存在としてある。したがって意味発展的に、この「こ」という言葉は年少の成長幼少期の人一般も言い、保護によって育つ、自分より美しい自分がもうひとりいるような、美(うつく)しみをおぼえる人を表現したりもする→「我妹子(わぎもこ)」「我背子(わがせこ)」「我が妻の子(わがつまのこ:妻たるこ)」「父母に知らせぬこゆゑ…夏野の草をなづみ来るかも」(万3296)。何らかの操作に従事する者も「こ(子)」と言いますが、これは従属する者、という意味でしょう→「かこ(水手:かきこ(掻き子))・舟をこぐ人」「たご(田子)」「ふなこ(舟子)」「まご(馬子)」「お針子」「踊り子」など。

小:さらに意味応用発展的に、物的や動態的・事象的現象的に小さいこと程度の弱いこと、「小石」「小型」「小高い丘」「雨は小降り」「駅まで小一時間」「小首をかしげる」「小耳にはさむ」、社会的権威があまりなく影響力が弱いこと、「小舎人(こどねり)」「小侍(こざむらい)」、動態や情況が些細なちょっとしたことであること、印象強度が印象に残らないわけではないが強力にではないこと、「小奇麗」「こざっぱり」「小粋」「こにくらしい」「小癪(こシャク)なやつ」(「癪」は和製漢字)、なども「こ(小)」と表現する。

「…珠(たま)にまさりて思へりし我が子にはあれど…」(万4220:これは自分が生んだ子)。

「命(いのち)の全(また)けむ人(ひと)は……の熊樫(くまかし)が葉を華髻 (うず)にさせそのこ(古)」(『古事記』歌謡:この「こ」は「を(緒):子孫」一般のような意味になっている)。