「ケントン(見、頓)」。「と」は連濁した。「見(ケン)」は、見参(ケンザン:これは日本での用法)、や、謁見(エッケン)、などの「見(ケン)」であり、現実に会うこと。その丁寧な言い方。お目見えすること。お目にかかること。「頓(トン)」には、にわかに、急に、即座に、といった意味がある(頓死、頓悟、頓才・頓智(即応の機転がきく))。「見、頓(ケン、トン)」とは、御目にかかって即座に、ということであり、この語が、お客様に御目にかかったら、客が来たら、待たすことなくすぐに、それに即応して、注文の品をお出しします、ということであり、これが1600年代に、食べ物を提供する店に広く広まった宣伝文句になった。たとえば角型の看板柱の一面に「けんとんめし」(けんとん飯)と書かれ、隣の面に「そは切」(蕎麦切り)と書かれる。あるいは、「けんとん」と書かれ「うとん」(饂飩)と書かれる。つまり「けんどん」は「見頓」であり、注文に即座に応じそれが提供される、の意。『還魂紙料』(1826年)に「『江戸鹿子』に見頓(けんどん)の字(じ)を當(あて)たるは見(ミ)る局(ま)に頓(はや)く調(でき)る意なるべし」(『還魂紙料』(1826年):『江戸鹿子』は1687年)とありますが、ようするにそういうことです。ただし、作業がそれを見る間に早いのではなく、客を見たらすぐにそれに対応できるということ。

「けんとんめし」のほか、「けんとん弁当」、さらには、「けんとん」という語を利用したとしか思えない「けんとん酒」などという語もありますが、提供されるもの、すなわちその商品としてもっとも一般的に広まったのは蕎麦(そば)と饂飩(うどん)。弁当にも「仕出し」というものはありましたが、蕎麦や饂飩は注文があれば家までもっていくということもおこない(現代で言えば「出前(でまへ)」や「デリバリー」)、それは蕎麦や饂飩を箱に入れて運び、その箱は「けんどんばこ(けんどん箱)」といった。

この「けんとん」が「慳貪(ケンドン)」と書かれ、その店では食べ物を盛り切りで出し、おかはり(追加のもう一杯)をさせないからだ、ということは江戸時代から言われる。物惜しみ、むさぼりが深い、(意味発展的に)無慈悲、という意味の「ケンドン(慳貪)」という語は、とりわけ仏教用語として、別にある。「つっけんどん(突きけんどん)」の「けんどん」はその意。しかし、「けんとん」という語は食べ物屋の店の宣伝用語として広まっている語であり、利用者の非難表現が広まっているわけではない。最初に「けんとん」を看板に書いた人が、この店は物惜しみでむさぼりが深く無慈悲ですとは書かないでしょう。では、なぜそのような印象の良くない字をもちいる者が現れたのかですが、江戸時代には、「けんどん屋」に好感を抱いていない人はいた。『むかしむかし物語』(新見正朝:書かれたのは1710年代ころ(下記))は「けんどんうどんそば切」の発祥を書いたのち、「…下々買喰ふ、中々侍衆の見る事もなし。近年は歴々の衆も喰ひ、結構なる座敷へ上るとて、大名けんどん抔(など)と云て拵(こしら)へ出る」と書いている。「下々」(原文にある表現)が買い喰っている中に侍がまじり蕎麦をすすっている現状を明らかに快く思っていない。腹をへらした職人だの商家の奉公人だのが貪欲にむさぼり食っているなかに侍が混じり同じように食っているさまが不快だったのです。

「寛文辰年けんどんうどんそば切と云物出来、下々買喰ふ、…」(『むかしむかし物語』(新見正朝:書かれたのは1710年代ころ):寛文辰年は1664年。『むかしむかし物語』のこの部分は上記『還魂紙料』にも引用され、そこでは「是(これ)けんどんの初(はじめ)なるべし」と言っている。つまり、これが資料における「けんどん」の最も古い例)。

「これをけんどんと号(なづ)くるは独味をして人にあたへざるの心、又給仕もいらずあいさつ(挨拶)するにあらねばそのさま慳貪なる心、又無造作にして倹約にかなひたりとて倹飩と書くと云。此説よろし」(『本朝世事談綺』(1733年))。