◎「けぶり・けむり(煙り)」(動詞)

「けみふり(気見振り)」。「け(気)」は無いが有ると感じられる何かであり、「み(見)」は見た情況、視覚印象であり、「ふり(振り)」は様子を現わすこと。「けみふり(気見振り)→けぶり」は、「け(気)」のような見た目を現すこと、現実に有るものが、「け(気)」であるかのような、現実には無いかのような、様子を現わすこと。現実には無いかのような様子を現わすのは現実や世界です。何かや世界が現実から消えるかのような状態になる。そうした状態になることが「けみふり(気見振り)→けぶり」であり、その連用形名詞化が何かや世界をそのような状態にしてしまう有色気体も意味するようになった。有色気体としては燃焼によって生じるそれが最も一般的です。この語は鎌倉時代に「けぶり」とも「けむり」とも書かれると言われ(『名語記(ミャウゴキ)』(1268年)に言われる)、江戸時代にも「けぶり」と書き「けむり」と読むと言われるような状態にあり(「けぶり」と書いて「けむり」と読むといったことが『初心仮名遣』(1691年)にある)、相当に古くから「けぶり」とも「けむり」とも言っていたと思われます。

「天皇…遠(はるか)に望(みのぞみ)たまふに、烟気(けぶり)多(さは)に起(た)つ」(『日本書紀』仁徳天皇七年四月)。

「林を見れば木(こ)の芽けぶりて…」(『宇津保物語』)。

「それと見よ都のかたの山ぎはに結ぼほれたるけぶりけむらば」(『和泉式部集』)。

「煙 …氣夫利」(『新訳華厳経音義私記』)。

「烟 ……和名介布利 火焼草木黒気也 唐韻云爩 …俗語云介布太之 烟気也」(『和名類聚鈔』巻十二燈火部・燈火具)。

「𤇆 ケムリ」(『運歩色葉集』(1548年))。

 

◎「けぶたし(煙たし)」(形ク)

「けぶりいたし(煙甚し)」。「いた(甚)」は下記。煙(けぶり)の程度が激しい、の意味。後に「けぶたき」は「けむたい(煙たい)」が一般的になる。

「護摩の煙みちみちたるさま、いとおどろおどろしきまでけぶたし」(『増鏡』)。

 

(再記)

◎「いた(甚)」

「いつや」。「いつ」に関しては、進行を表現する「い」を語幹とし思念的な「つ」を活用語尾とする、「いたり(至り)」や「いと(甚)」なども生じさせている、「いつ」という動詞があったものと思われます。「いた(甚)」はそれによる「いつや」。「や」は詠嘆。進行が極限・限界・究極まで行きついていることを詠嘆する。

「いた泣かば人知りぬべし」(『古事記』歌謡83:極限まで、気がすむほどに、泣いたら人が知る)。

「いたもすべなし」(万3785:もうまったくどうしようもない)。

この「いた(甚)」を語幹とする形容詞表現が「いたし(甚し)」→「水穂の国はいたくさやぎてありなり」(『古事記』)。

この語は「いた(痛)」とは別語です。