『古事記』が神武天皇の幼名として伝える名です。正式には「若御毛沼命(わかみけぬのみこと)」。『日本書紀』は「さの(狭野尊:さののみこと)」という名も伝える。「けぬ」は「けのふ(毛野生)」。「け(毛)」は「くさ(草)」を意味する古語。「くさ(草)」という言葉が一般化する前に用いられていた言葉だろうということです。地表に生じる草木の総称を「け」という方言(京都府竹野郡)や、稲や麦などの収穫を意味する「けあげ(け上げ)」という言葉がある。一年に同じ耕地で作物を二度作ることを「二毛作(ニマウサク)」と言いますが、この表現は中国語にはない日本独特のもののようです(白髪交じりの老人を「二毛」と言ったりはする。また、中国語にも産物の育たない地を「不毛之地」という表現はある)。つまり、この表現は(特に草性の)植物を「け」と表現し、それを「毛」と書き生じた表現でしょう。この場合の「け(毛)」は、地が着るように生え育つもの、という意味になる。「けの(毛野)」は毛(け)のように見える野であり、草原を意味する(→「上野 加三豆介野(かみつけの) 下野 之毛豆介野(しもつけの)」(『和名類聚鈔』国郡部第十二・東山国第五十四:「かみつけの(加三豆介野)」は「かうづけ(上野)」、「しもつけの(之毛豆介野)」は「しもつけ(下野)」。つまりこれらの総称は「けの」の国(くに)。「けの」は「草野」でしょう))。「けのふ(毛野生)」はその草原の生ひ。「さの(狭野)」の「さ」は情況的な動きを表現し、「さの」はやはり草原を意味する。つまり、神武天皇の幼名は草原(ソウゲン)。「毛 …ケ……クサ」(『類聚名義抄』:「毛」を「くさ」と読み「くさ(草)」を「毛」と書き、「毛」を「け」と読み「け(毛)」を「毛」と書いていたとしても「くさ(草)」を「け」と言っていたことは意味しないわけですが、「け(毛)」も「くさ(草)」も同じような動態情況体としてとらえられていたことは確かでしょう)。

 

「…次(つぎ)に若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、亦(また)の名(な)は豐御毛沼命(とよみけぬのみこと)、亦(また)の名(な)は神倭伊波禮毘古命(かむやまといはれびこのみこと)」(『古事記』:「神武(ジンム)」という諡名(おくりな)は奈良時代末期、700年代末期、ころのものであろうか)。