◎「けなりげ」
「ケンにありげ(健に有りげ)」と「けなり」(別項・1月6日(昨日))に「げ」のついた「けなりげ」がある。
・「ケンにありげ(健に有りげ)」
「ケンにありげ(健に有りげ)」。「げ」は「かなしげ(悲しげ)」、「おとなげ(大人げ)」その他にある「げ」(→「げ」の項・12月16日(去年))。「ケンにありげ(健に有りげ)」は、壮健そうだ、ということ。特別な病状や故障も無く、すこやか、という意味でも言う。
「『やせて候へども、此の犬はけなりげに候ふと見候へば、糸惜(いとほし)く候』とて、悪(にく)まれ子をとる」(『沙石集』)。
「さしもけなりげなる人の太刀をだに奪ひ取る。ましてこれら程なる優男(やさをとこ)……」(『義経物語』)。
「忠時はよろつ(づ)ことなる事もさふらはて(で)、けなりげにのみ候。けさん(見参)に入りたく候也(お目にかかりたい)」(「金沢貞顕書状」)。
・「けなり」(その項)に上記「けなりげ」の「げ」のついた「けなりげ」もある。これは、うらやましげ、ということ(これは「けなり」の項で触れたので繰り返しになる)。
「Qenarigue. ………Qenarigueni miyuru(けなりげに みゆる). Parece que dessea,o tieue embidia en Buena parte(望んでいるか、かなり嫉妬しているようだ)」(『日葡辞書』:原文のsはロングエス)。
◎「げに(実に)」
「ゴえに(悟得に)」。「ゴえ」が「げ」になっている。「悟(ゴ)」は、悟(さと)ること。すべてがわかりすべてを知ること。「に」は助詞。「ゴえ(悟得)→げ」は、なにごとかやなにものかを受け、悟(さと)りを得ること、すべてがわかり、納得し、了解すること。「ゴえに(悟得に)→げに」は、そうした、なにごとかやなにものかを受け、悟(さと)りを得、すべてがわかり、納得し、了解した心情になって、すなわち、思考や疑問が働かなくなった状態で、動態があることを表現し(A)、また、思考や疑問が働かなくなった状態になり(B)、も表現し、疑問に関し思考が働かなくなっていること(C)も表現する。
「弟子、此(これ)を聞きて現(げ)にと思ひて去りぬ」(『今昔物語』(A):まったくと思い。人が言ったことを、まったくそうだ、と思った際、『げに』と言ったりする。私は「悟得(ゴえ)」の状態にあります、私は「悟得(ゴえ)」の状態になりました、ということ)。
「この歌よしとにはあらねど、げにと思ひて、人々忘れず」(『土佐日記』(A):まったくと思い)。
「げに、(aの)御かたち・有様(ありさま)・あやしきまでぞ、(bに)おぼえ給へる(思われる)」(『源氏物語』(B):まったくaはbにおもわれる)。
「げに、ただ人にはあらざりけり」(『竹取物語』(B):まったくただ人ではない)。
「『……いと、恥づかしうなむ』とて、げに、え堪(た)ふまじく泣い給ふ」(『源氏物語』(C):堪えられそうだという疑問的思いなど問題にならず。まったく堪えることなど問題外で)。
「御手は(文(ふみ)の文字は)げに などてかすこし物の心しらん人のいたづらにかへさんと見ゆるに…」(『狭衣物語』(C):疑問に関し思考が働かなくなっている状態で。どういうことで徒(いたづら)にかへすだろう(徒(いたづら)にかへすことなどない)、ということに疑問など働かない状態に見えるに…)。
・「げにげにし」というシク活用形容詞もある。疑問の余地なく、まさにこうあるべきだと思ったり、まさにそうだと思ったり、疑問の余地なくと思ったりする。
「いとげにげにしくも覚えずして、庁官後(うし)ろざまへすべり行く」(『宇治拾遺物語』:人違いで呼び出され意味不明なことを問われ帰ってよいと言われ)。
「朝夕へだてなく馴れたる人の、ともある時(ふとあるとき)、我に心おき、ひきつくろへるさまに見ゆるこそ、今更かくやはなどいふ人も有りぬべけれど、なほげにげにしくよき人かなとぞおぼゆる」(『徒然草』:まったくそうあるべきだ、と思う状態で「よき人」と思う。親しき中にも礼儀ありということか)。