◎「けなげ(健気)」

「けなげ(褻無げ)」。「け(褻)」は日常の、平凡な、普段の、という意味のそれ→「け(褻)」の項(12月13日・去年)。「なげ(無げ)」の「げ」は、動態や情態や状態の、そのあたり、という意味のそれ→「げ」の項(12月16日)。「かなしげ(悲しげ)」や「おとなげ(大人げ)」などの「げ」です。「けなげ(褻無げ)」は、「け(褻)」がないかのように、ということです。「け(褻)」が無いということは、「はれ(晴れ)」しかない、ということです。つまり、常に晴れの場にいるような状態にある。晴れの場には人は爽快さや開放感を感じる。そこに常にいる。晴れの姿のまま生き、晴れの姿のまま死ぬような状態です。これが、晴れの舞台に立つ者の勢いや己(おのれ)を棄て去っている潔さとその感銘を生んだりもする。後世では、とくに年少者や幼児が年少者や幼児としての「け(褻)」が無いような状態になっている場合に「けなげ」と言われるようです。無力者でありながら、ということが感銘の深まりになるということでしょう。たとえば、幼い者が、自分よりさらに幼い妹を守るため、これに危害を加えようとする剛力の大人と死に物狂いで戦う。あるいは、幼い子が、病み動けない母親を守るため一心に働く。「健気」は「けなげ」であることの勢いや爽快感が壮健な印象を与えたことによる当て字。

「静賢法印(じゃうけんほふいん)のもとに、馬允(うまのじょう)なにがしとかや、ゆゆしき力強くけなげなる男ありけり」(『古今著聞集』)。

「武士の女房たる者は、けなげなる心を一つ持てこそ、其の家をも継(つぎ)子孫の名をも露(あらは)す事なれ」(『太平記』)。

「性力軽疾て(みがるで?)、気力はやうて、悍勇に、けなけて、死をもなにとも思はず」(『史記抄』)。

「勇 ケナケ」(『運歩色葉集』)。

 

◎「けなし(貶し)」(動詞)

「けねならし(蹴音鳴らし)」。「ならし(鳴らし)」のR音は退行化した。蹴(け)る、音(ね)を、鳴(な)らす、ということですが、なにものかやなにごとかを足蹴(あしげ)にし、これを侮辱する音を世に響かせるような言動をすること。

「ほどなく川側伴之丞馬乗り下りて息休め、権三を見かけ歩み寄り『ヤア権三、遠乗りか。オヽあれはお身の月毛ぢゃの、この一両年めっきりとよくなった、買手があらば売ってしまへ、五両も七両も利をとって、また後から安馬を買ひおき、乗入れて売ったらば随分金持になる筈、よい芸覚えてエヽ幸せぢゃの』と、人をけなす口癖の気立てを権三はよく知って…」(「浄瑠璃」『鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)』)。