「巡礼等は…あら筵(むしろ)へけつかり」(『蓑張草』「評判記」:これは、居る、ということですが、座っているでしょう)。
「ここらへはうせぬかとうそうそ見まはし神子の門、こりゃここにけつかると引出せば…」(「浄瑠璃」:これはその場所に居た)。
「おいらが仲間におのれが様な奴がけつかるが唐人組の名折れ」(「歌舞伎台本」:これは社会的な人間関係として居る)。
動態に「けつかり」が接続し、
「其程(それほど)見度(みたく)ば近くへ寄つて見(みら)れに来た。サア我(わが)存分に(自分の気がすむまで)見居(みけつか)れ」(「浄瑠璃」『心中二枚絵草紙』:ようするに、くだらない連中の動態として表現している)。
「ハテ、亭主が女房を返り討ちとは珍しい。敵同士でも夫婦は二世、先きに殺して遣(や)る程に、未来は一つ蓮(はち)すの楽しみ。半座を分けて待つてけつかれ」(「浄瑠璃」『嫗山姥(こもちやまうば)』:これは、闘争関係に入った相手への威嚇的罵(ののし)り)。