「けといひ(気と言ひ)」。『け(気)』と言った・発音した、という意味ではありません。「け(気)」の状態で、何者か(たとえばA)を「け(気)」にした、(何者か(A)が見えない「け(気)」になった)、状態で、言語活動をした、という意味。つまり、「と」は思念的に何かを確認しますが、この語では、言った内容を確認するのではなく、言っている言語活動の状態を確認する。その意味でAを気(け)と言った場合、Aは見えない存在となり、Aは不存在化している。そのときそれは「Aを気(け)と言ひ→Aをけち」になる。「かたちよき人はひとをけつこそ憎かりけり」(『源氏物語』:見た目のよい人は周囲の人をまるでそこに居ないかのようにしてしまう)。この表現が、存在を見えないような状態にしてしまう、無効化してしまう、不存在化・無現象化してしまうことを意味する動詞として一般的に用いられるようになった。この表現は後に活用語尾が動感を表現するS音による「けし(消し)」(12月21日)が一般的になる。ただしそれは「けち(消ち)」が「けし(消し)」に変化するわけではなく、古くから「けち(消ち)」と言われ、漢文訓読系の世界から「けし(消し)」が生まれそれが広まり、双方が用いられつつ、やがて「けち(消ち)」は用いられなくなっていく。
「燃ゆる火を雪もちけち」(万319)。
「さることのありしかとだに(さることのありしか、と、だに)思はじを思ひけてどもけたれざりけり」(『右京大夫集』:けて→消せ。けたれ→消され)。
「いたづらにたまる涙のみづしあらばこれしてけて(消せ)と見すべき物を」(『平中物語』:けて→消せ)。
「大后、……『つひにこの人(源氏)をえ消たずなりなむこと』と、心病み思しけれど…」(『源氏物語』:「消たず」は、消さず、ですが、この「けち(消ち)」は社会的な存在感を不存在化させること)。「みこ(皇子)の御ありさまの、かしこくめでたくて、世にはけたれ給ふべくもあらず」(『浜中納言物語』)。