「きへっつい(木竈)」。「へっつい」は竈(かまど)です。「きへっつい(木竈)」は、木でできた竈(かまど)。「きへっつい(木竈)→けち」は、何の役にも立たない、無意味・無価値、しかし火がつくと危険な(禍(わざはひ)が起こる)、もの・こと。「けちがつく」は「けちひがつく(けち、火(ひ)がつく)」。火がつくと、火をつけると、その「けち」により、何の意味もないことで危険で厄介なこと(不吉で縁起の悪いこと・災厄・災難)が起こる。「けちをつける」はその他動表現。何の意味もないが危険で厄介なことを引き起こす(不吉で縁起の悪いこと、いやな気分になること、を起こす)。「きへっつい(木竈)→けち」の、火をつけられない(火がつかない)、使えない、何の役にも立たない、といった意味は、竈(かまど)に火がつかない→不景気、何の役にもたたない→つまらないもの・こと、といった意味にもなり、不景気でつまらないもの・人・ことは吝嗇・ものおしみ、といった意味にもなる。
この語の語源は多く「怪事」の音(オン)によるものと言われます。しかし「怪事」は、ケジ、であり、けち、ではないということもあり、「怪事」は神威や怪しい霊などによる不思議な、そのため恐ろしかったりもする、事象を言い、「人のすることにケチをつける」場合、それは、人のすることに怪しい霊などによる事象をつけるわけではない。それは人のすることに、不吉であったり、縁起が悪かったりする嫌な印象、悪い印象をつけることを言う。
「軍中にては、うらなひや、さまざま不審なるけちなどを語り、人の疑はしく不審する事など深くいましむべし」(『孫子私抄』:先行きが不安になるようなことを言う)。
「Qechi. Pronostico de alguna cosa en mala parte. ¶ Qechiga aru,I,deqita.……」(『日葡辞書』:Qechi(けち). Pronostico de alguna cosa en mala parte. ¶ Qechiga aru,I,deqita(けちがある、または、できた)。「Pronostico de alguna cosa en mala parte」は「なにか悪いことを予測する」のような意味でしょう)。
「たんざくをおてらでもらふけちな事」(「雑俳」:めでたく縁起の良いことではない、ということ)。
「怪事 ケチ」(『増補 合類大節用集(和漢音釈書言字考合類大節用集)・言辞九』(1717年))。
「斯(こ)う『不祥(けち)』がつきし上からは、到底老耄(おいぼれ)たる痩腕(やせうで)にて、身代取返さむ見込もなし」(『内地雑居未来之夢』(坪内逍遥))。
「今時ない物は銭金、折々気ばらしに芝居を見ても、近年は浄るりでさへ、何ぞといや金のない事、余りけちな此時節…」(「浄瑠璃」『神霊矢口渡』:不景気)。
「『…(上方では鰻のかば焼きはきっちりと蓋をしてだすので冷めない)…』『江戸ぢやァ、そんな吝(けち)な事は流行(はや)らねへのさ。江戸前(えどめへ)の樺焼(かばやきは、ぽつぽと湯気の立つのを、皿にならべて出す。たべるうちにさめたらその儘(まま)置いて、お代(かは)りの焼立(やきたて)を食べるが江戸子(えどつこ)さ。さめると猫に持(もつて)行つて遣(や)らうと、竹の皮へ包んで帰る人は、よつぽど勘定高(かんぢやうだか)な人さ』」(「滑稽本」『浮世風呂』:物惜しみ)。