◎「けし(異し)」(形シク)
「け(異)」の形容詞表現。語の成立としては驚きを表現する「え(驚)」が二度重なっているでしょう→「け(異)」の項参照(12月14日)。「け(異)」であることの心情表明。「け(異)」が与える常識との切断感、それゆえの違和感により、この「けし」という形容詞はあまり肯定的には用いられません。奇妙で劣っていたりする印象が表明される。そして、それを否定する「けしくはあらず」という表現が多い。悪くもない、ということでしょう(「けしからず(けしからん)」はこの「けしくはあらず(異しくはあらず)」とは別の表現)。
この「けし(異し)」は、異(け)きこと、といった表現もいかにもありそうですが、ク活用ではなく、シク活用。
「あらたまの年の緒長く逢はざれど異(け)しき(家之伎)心を吾(あ)が思はなくに」(万3775:あなたの思いや期待を裏切るような心はない)。
「この女、(男が)かく書き置きたるを、(私は)けしう、心置くべきこともおぼえぬを、何によりてか、かからむ、と、いといたう泣きて」(『伊勢物語』)。
「なほ、強く思(おぼ)しなれ。けしうはおはせじ。(命の)限りと見ゆる人も、たひらなる例近ければ(なんでもなかった例も身近にありますから)…」(『源氏物語』:この「けしうはおはせじ」は、(あなたの状態は)意外な、特に異常なものではございません(過剰に気に病むことはございません)、のような意)。
「さばかりよき人を多く見たまふ御目にだに、 けしうはあらずと、容貌よりはじめて、多く近(ちか)まさりしたりと思さるれば…」(『源氏物語』:「近(ちか)まさり」は近くで見て、遠くから見て、良い、と思われていたものやことが近くで見るとそれよりもさらに良かったこと。この「けしうはあらず」は、期待を裏切るようなものではない、のような意味でしょう)。
◎「~けし」
たとえば「はるけし(遥けし)」(形ク)の場合、「はるこえし(遥此歓し)」。「はる(遙)」は「はるばる(遥遥)」などのそれ→「はるか(遙か)」の項。その「はる(遙)」を「こ(此)」(これ)と強調的に気づき確認し、「えし(歓し)」(形ク)は満足・感服を感じるもの・ことであることを表現する(その項(下記※))。すなわち、「はるこえし(遥此歓し)→はるけし」は、遥々(はるばる)としていることを強調提示しそれに満ち足りたような・感服したような、思いにあることを表現する。まったく「はる(遥)」だ、それに疑問を感じない、ということ。
この「~けし」がさまざまな語により表現される。同じ「けし」による語として「のどけし(長閑けし)」、「さやけし(清けし)」、「しづけし(静けし)」、「あきらけし(明らけし)」、「つゆけし(露けし)」などがある。
「…月に向ひて霍公鳥(ほととぎす)鳴く音(おと)遥けし(はるけし:波流氣之)里遠みかも」(万3988)。
「久(ひさ)かたの光(ひかり)のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」(『古今集』)。
※ 「えし(歓し)」(形ク)は2020年8月7日なのですが、随分まえのことなので一部再記します。
「えし(歓し)」(形ク)
「いえへ(癒えへ)」、「へ」は目的性のある進行を表現する助詞。これが、「えー」のような音(オン)になりつつ、そして「いえ(癒え)」による安堵が満足を表現しつつ、満足した(する)状態にあることを表現することがあったのでしょう。この「えー」を語幹としたク活用形容詞が「えし(歓し)」。満足・感服を感じるもの・ことであることを表現するわけですが、これは俗語のような語かもしれません。ちなみに、この「え」はY音。