◎「くれぐれ」
「くれがくれへ(塊が塊へ)」。「が」は後音を濁音化しつつ消え、語尾の「へ」は進行感・方向感を表現する助詞であり無音化した。「くれ(塊)」は、固まり(→「つちくれ(土塊)」・12月7日「くれ(塊)」などの項)。「が」は所属を表現する助詞。「くれがくれ(塊が塊)」は、塊(くれ)の塊(くれ)、のような意。「くれがくれへ(塊が塊へ)→くれぐれ」は、多く「くれぐれも」という言い方をし、固まりが、さらにしっかりとしたその固まりになるようにも、心がこめられたり、気持ちがこめられたり、思いがこめられたり、考えがこめられたりしてなにかがなされることを表現する。
「くれぐれ申しし甲斐もなく」(「謡」)。
「此芸を持って門彳(かどづけ)をせぬと……呉々(くれぐれ)も惜(をし)い事だ」(「人情本」)。
「くれぐれも御身体御大切に」。
◎「くれくれ」
「くれ(暮れ)」が二度重なり、日が暮れていくような情況や心情にあることを表現したもの。連濁し「くれぐれ」とも言う。
「常知らぬ道の長路(ながて)をくれくれと(久禮久禮等)いかにか行かむ糧(かりて)はなしに」(万888:「かりて(糧)」はその項・7月11日)。
「心がくれぐれとして、深き所へ沈み入(いる)やうに侍るは」(「歌舞伎」)。
◎「ぐれ」(動詞)
「毒薬の利(き)いたのか、但(ただ)しは(あるいは)目算(モクサン)がぐれたのか」(「浄瑠璃」)。
「かう毎月ぐれる様では、それが為に雇うて置く職工が動きませんで」(『断橋』岩野泡八:見込みがはずれる)。
「イヤ全体かたいお方でございましたが、どうして又ぐれさしったか」(「滑稽本」『浮世床』:生活態度が不良化した)。