◎「くりや(厨)」

「きふりや(着触り屋)」。様々なものを着て(手とそれが触れるものとの間に何かを入れて)様々なものに触れる家状のところ、の意。要するに、そこでは様々なものに直接触れてはいけないということです。なぜなら、その屋内各部やそこにあるものは熱せられていて火傷を負うかもしれない危険があるから。そこでは常時火が扱われている。これは台所、調理場、を意味する。元来は独立した家屋の状態になっているものを言ったでしょう。後には家屋の一室のような場も言う。独立した家屋になっていたのは火災による延焼を防ぐためです。

「厨 ……和名久利夜 庖屋也 庖……料理魚鳥者謂之庖丁」(『和名類聚鈔』:最後の部分は、魚鳥を料理する者は之(これ)を、庖丁、と謂(い)う、と言っているわけですが、「庖(ハウ)」は炊事場を意味し、「丁(テイ・チャウ)」は壮年の男や下働き的な男を意味する(現代の中国語でも「庖丁」は料理人を意味する)。現代の日本ではこの語は料理に用いる刃物を意味するわけですが、古くは「庖丁刀(ハウチャウがたな)」という語があり、この語が慣習的に下略され「庖丁(ハウチャウ)」とだけ言われるようになったということ(中国語では料理に用いる刃物は「菜刀(サイタウ(現代の中国語ではツァイタウとハイタウを混ぜたような音))」))。

 

◎「くるくる」

これは回転を表現する擬態ですが、「く」の、K音の侵入的交感とU音の遊離した自足的動態感の、「る」のR音の情況動態感とそのU音の自足的動態感による永続的連動感が回転の同軌道循環を表現した。侵入的交感と自足的動態感の融合が運動の永続性になり、運動の永続とは運動が同一点に帰ってくるということであり(帰って来ず始点や終点がある場合永続しない)、これが回転感になる。これは「ころころ」が回転運動を表現することへも影響している(つまり、「ころころ」と「くるくる」は母音交替ということ)。回転(円運動)を表現する音(オン)、回転感(円運動感)を表現する音(オン)にはほかに「ま」がありますが、これはそれが運動の全的容認感・完全感を表現していることによる。

この語は何かの周囲全体を一巡することを表現する「くる」にもなる→例えば「くるわ(郭)」。

戸の開閉の際の戸の回転軸となる部材を意味する「くる(枢)」という語もある(くるくると回る印象だから)。

「『……』と念ずる程に、寂照が前なる鉢、俄(にはか)に狛鷸(こまつぶり)の如く、くるくると転(くるべ)きて…」(『今昔物語』)。