◎「くやし(悔し)」(形シク)

「くいあえあえし(悔い落え落えし)」。「くい(悔い)」の「い」はY音化しており、「あえ(落え)」の「え」はY音。「くいあえあえし(悔い落え落えし)→くやし」は、「くい(悔い)」て身が崩れ落ちてしまいそうであることを表現する。この「くやし」は、原意としては悔いにともなう悲嘆や哀感を表現するものですが、後世では、期待や思惑どおりにならない事態への満たされない、不満な思い、さらには、それへの苛立ちや腹立たしさ、を表現するようになる。

「くやしかもかく知らませばあをによし国内(くぬち)ことごと見せましものを」(万797:これは亡くなった妻を思って言っている)。

「『心深しや』など、ほめたてられて、あはれ進みぬれば、やがて尼になりぬかし。(しかし)………………みづから額髪(ひたひがみ)をかきさぐりて、あへなく(堪(あ)へなく(自己を維持できず))心細ければ、うちひそみぬかし(耐えつつも泣き崩れそうになり表情が歪む)。忍ぶれど涙こぼれそめぬれば、 折々ごとに(さまざまな折々に)え念じえず(心に強く思いつつこらえきれず)、悔(くや)しきこと多かめるに((尼になったことを)悔いてしまうことも多いと思われるのに)、仏もなかなか(出家を)心ぎたなしと、見たまひつべし」(『源氏物語』:これは(尼になったことを)悔いている)。

「このうたは……淡路御(あはぢのご)のうたにおとれり。『ねたき(腹立たしく残念な思いがする)。言はざらましものを((こんな歌を))言わなければいいのに』とくやしがるうちに、夜になりて…」(『土佐日記』:「くやしがり」は、原意としては、くやしいような思いに駆り立てられる、ということであり、悔いているわけではなく、そうありたいと思うような事態になっていないことを残念に思う、ということであり、ここで言っていることは「くちをし(口惜し)」に意味が似ている)。

「何をしてどこにけつかるかと独り切歯(くやしく)思へども。さながらよびにもいかれねば」(「洒落本」『当世気とり草』:これは、期待や思惑どおりにならない事態に苛立ちや腹立たしさを感じる表現になっているでしょう。

「試合に負け、くやしい」、「騙された。くやしい」。

 

◎「くやみ(悔み)」(動詞)

「くいやみ(悔い病み)」。「くい(悔い)」によって動揺した(安定感の失われた)複雑動態情況になること。

「数々に過ぎにし事はくやまねど思ひぞ出づる老のつれづれ」(『為忠集』)。

弔意を表す定型的な表現になっている「おくやみもうしあげます」は、くいている状態になっていることをお伝えいたします、ということ(何を悔いているのかと言えば、こういうことになるのなら故人と、あるいは故人に、こうしていれば、と思っています、ということ)。