他動表現「くひ(交入ひ)」の連用形名詞化。「くひ(交入ひ・食ひ)」を生じさせたもの。「くひ(交入ひ・食ひ)」はその項参照(11月9日・昨日)。具体的には、通常、棒状のものを地に「くひ(交入ひ)」(侵入させ)立てる。その用途は、土地に関する様々な公示その他、さまざまです。古くは、馬をつなぐためという用途も多い。地に入っているという意味で木の切り株を「くひ」と言うこともある。
「次(つぎ)に成(な)れる神(かみ)の名(な)は………次(つぎ)に角杙神(つのぐひのかみ)、次(つぎ)に妹活杙神(いもいくぐひのかみ)二柱(ふたはしら) 次(つぎ)に…」(『古事記』:この神名における「くひ(杙)」は人と地、一般的に言えば主体と空間、を結びつなぐことの象徴としてある。その意味では、地味と言いますか、無名な神ではありますが、重要な神です→「うましあしかびひこぢ(神名)」の項(2020年7月11日:そこにおける(日本の神話における始まりから「島生み」までの概略))。
「法師(ほふし)らが 鬚(ひげ)の剃杭(そりくひ) 馬繋(うまつな)ぎ…」(万3846:この歌とその次の万3847に関しては、以前、「えだち(役)」の項に関連してふれたのですが、※参考として下記に再記しておきます)。
「こもりくの 泊瀬(はつせ)の川の 上つ瀬に 斎杭(いくひ:伊杭)を打ち 下つ瀬に 真杭(まくひ:眞杭)を打ち 斎杭には 鏡を懸け 真杭には 真玉を懸け」(万3263)。
「爾(ここに)其(そ)の后(きさき)また御子等(みこたち) 其(そ)の小竹(しの)の苅杙(かりくひ)に足(あし)䠊(き)り破(やぶ)れども…」(『古事記』:この「くひ」は切り株ではあるが、細い竹)。
(※ 参考)
「檀越(ダニヲチ)や然(しか)もな言(い)ひそ里長(さとをさ)が課役(えだち)徴(はた)らば汝毛半甘(下記※)」(万3847:「ダニヲチ(檀越)」は「ダンヲツ(檀越)」の古代的発音と表記であり、「ダンヲツ(檀越)」はサンスクリット語の音訳であり、寺や僧に財物などを施す信者、旦那(ダンナ)、施主)。
※この「万3847」の第五句原文「汝毛半甘」は、汝(なれ)も半(なから)かむ(あなたも半分という意?)、や、汝(いまし)も泣(な)かむ、といった読みがなされていますが、これは「いましもはにかに(汝も『は』に『か』に)」でしょう(「いまし(汝)」の「い」はほとんど無音化している)。「半(ハン)」「甘(カン)」を「はに」「かに」と読むことは「銭(セン)→ぜに(銭)」「縁(エン)→えに(縁)」のような、古い時代の発音と表記によるもの。この「万3847」の第五句はその前の「万3846」第五句原文「僧(ホフシ)半甘」を受けたものですが、これも「ホフシはにかに(僧『は』に『か』に)」、僧(ホフシ)は?に、僧(ホフシ)か?に、であり、その意は、(髭をひどく引っ張ったら)僧(ホフシ)は?に、僧はどこへいってしまったんだ?に(まったく僧らしくない状態に)、僧(ホフシ)か?に、あれは本当に僧か?に、僧とは思えない状態に、なる、ということ。これを受け僧が「万3847」を返し、檀越(ダニヲチ)に対し、あなたも里長(さとをさ(下記※))に課役(えだち)を徴(はた)られたら檀越(ダニヲチ)は?に、檀越(ダニヲチ)か?に、という状態になる(課役(えだち)を課されたら寺や僧に財物などを施すことはなくなり施主ではなくなる)、と言ったわけです。最初の「万3846」で、ひどく髭を引っ張ったら僧らしくなくなる、と言われたのは、たぶん、この僧が僧らしくない無精ひげでもはやしていたのでしょう。その「万3846」は「戯(たはむれ)に僧(ホフシ)を嗤(わら)ふ歌」と題されている。つぎの「万3847」は「法師の報(こた)ふる歌」と題されている。
※ 「万3847」の第三句原文は「弖戸等我」ですが、「弖(通常、(助詞の)て、と読まれる日本で作られた字(下の横棒が横へ引くことを表し、弓を引くから「て(手)」か?。この字は「氐(テイ)」だと言う人もいる))」は「打」の音(オン:漢音テイ・呉音ダ、チャウ。)を表したのでしょう(つまり、読みの「て」で「テイ」の音の「打」を)。つまり「弖戸等」は「打戸等」であり、戸を打つ者たち、の意。それは税を徴(はた)るために戸を打つ者たちであり、それは誰なのかと言えば「万892」に「楚(しもと)取る里長(さとをさ(原文・楚取 五十戸良:大化改新後五十戸が一里(ひとさと)になった。「楚(しもと)」は、鞭にもなる、細い枝))が聲(こゑ)」とあり、それは「さとをさ(里長)」です。つまり、「万3847」の第三句の読みは原文「弖戸等我」を「五十戸長我」と書き変えるまでもなく、「さとをさが」でしょう(一般には、そういう誤記があるとして書き変えられ「さとをさが」と読まれている)。