「くひうち(食ひ打ち)」。「うち(打ち)」は現象現実化を表現する→「うち(打ち)」の項(「芝居をうつ」「荷をうつ」(積載する)などのそれ)。「くひうち(食ひ打ち)→くち」は、食ふことを現実化すること・もの、ということであり、この表現が食うことを現実化する、人の身体部分を意味した。つまり、食べるところ、の意。食物を体内へ取り入れる人体部分を言うことが原意ですが、比喩的に、物的空間的に(物、地形、施設)、さらには社会的・意味的に(事象)、その内部へ入る、その内部から出る(社会的意味でもの)構成部分なども言う→薬缶(ヤカン)の(注ぎ)口、家の出入り口(でいりぐち)、就職口(就職、という事象へ入る)。Aへ入るということはAの始まりという意味にもなる→宵の口、「山の木の葉の落ちくち」(『拾遺和歌集』:これは、落ち始め、の意)。ものの始まりは意味発展的にものの端(はし)の意にもなる→「ひざのくちをば箆深(のぶか)に射させ」(「浄瑠璃」:射させ、は、射られ、の意)。一口(ひとくち)が体内へ入れる食物の単位的一まとまりといった意味になり、「くち」が事象の一つのまとまりたる単位も意味する→出資一口10万円で募集、舞の回数を表現する「くち」も演技の一まとまりの意→「舞一口つヽ舞了」(『言継(ときつぐ)卿記』)。ある種の人の性向や事象の傾向類型の一まとまりという意味でも言う→「きみはいける口かい?」(酒は好きかい?の意)。円柱形のものの太さや堀の幅の単位として「くち(口)」が言われるのは、木材の切り端断面が、木材という対象の初まりとして、「こぐち(木口)」と言われ、その直径が木材の太さの単位→「口六尺の銅の柱」(『平家物語』)、堀幅の単位になるのは開いた口ということでしょう→「口一丈の堀」(『義経記』)。「くち(口)」が言語活動を意味したりもする。これは言うまでもなく、言語活動を行うのは身体部位たる口だから→「生意気な口をきく」(「きく」は、聞く、ではなく、効く、であり、自動表現であり、「を」は、目的ではなく、状態を表現する)。「政治家の口きき」。
「…植ゑし椒(はじかみ) 口(くち:久知)ひひく 我は忘れじ 撃ちてし止まむ」(『古事記』歌謡13)。