「けいにとはり(気去にと張り)」。「け(気)」とは何かあると感じられること。見えないが有る何か、であり、「もの(物)」や、「もの(物)」による「こと(事・言)」の「け(気)」。「いに(去に)」は完了的に進行することであり、「と」は何かを思念的に確認する助詞。「はり(張り)」は、情況的感覚感・表面的・平面的感覚が感知され現れ(→「はり(張り・貼り)」の項)、自動表現も他動表現も表現は可能です→「氷が張る」「声を張る」。「けいにとはり(気去にと張り)→くだり」は、何かから感じられるその「け(気)」が完了的に進行する動態になっていると思念的に確認される動態状態で情況的・表面的・平面的感覚が感知され現れる。また「はり(張り・貼り)」は何かを自己から離脱させそのもの・ことの自由運動に任せることも意味し(→「はり(張り・貼り)」の項)、「くだり(下り・降り)」が高点から低点へ、地球表面部から中心部へと進行する動態を表現するのはこの自然現象たる自由運動の経験によるものです。この高処から低処への移動は、物的空間的にだけではなく、意味的・社会的にも言われる→「くだらねぇ野郎だ」。他動表現は「くだし(下し)」。くだる(下る・降る)状態にすること。

この語は語源説らしい語源説はないです。日常的に用いられてはいますが、意味のよくわかっていない語なのだろうと思います。

 

「雨くだり」:雨という現象の気(け)が「いに(去に)」たる、完了的進行たる、それへとやられ放任された情況動態になる、とは、無数の水滴の自由落下を意味する。独立した部分たる物体は干渉作用がない限りすべて自由落下する。自由上昇や自由平行進行は起こらない。人間も落下する。居るのが傾斜地であれば地に接触しつつ落下する。「涙くだり」という表現もある。涙が溢れ、放任された状態になり(とどめることはできず)流れていく。

「谷にくだり」:谷に下方進行する。

「坂をくだり」「川をくだり」:坂・川を下方(下流へ)進行する。

「貢(みつき)の船は……朝なぎに楫(かぢ)引きのぼり夕潮(ゆふしほ)に棹(さを)さしくだり」(万4360)。

社会的文化的な意味や価値の評価に関しても言われる。

「京から江戸へくだる」:歴史的伝統的権威として京都から江戸への進行が下方進行と表現される。「くだらない」は江戸へ送られるほどの特別な価値性が認められないこと(高低差がなく、水がくだらない、といった通常の表現はもちろん別にある)。「天ざかる鄙(ひな)にくだり来」(万3962)。

「判決がくだる」:権威上位からの下方進行ということ。「たくみつかさ(内匠寮)に宣旨くだりて」(『源氏物語』)。

「へりくだる」:自己価値が下方進行する。「へり(謙り)」に関してはその項。「卑 …イヤシ……クダル」(『類聚名義抄』)。「軍門に降(くだ)る」(戦いに負けて降参すること)。

下痢症状も言う。「腹がくだる」。

連用形名詞化たる「くだり」が、完了的進行たる、それへとやられ放任された情況動態の現れたる事象、ものやことの一揃い、という意味にもなる。

「故(かれ)、初(はじめ)の章(くだり)に云(つた)へらく」(『日本書紀』:「初(はじめ)の章(くだり)」とは、『十七条の憲法』の第一条。こと(事・言)たる一揃い)。

「女のよそひ(装ひ)廿人くだりばかり」(『宇津保物語』:装(よそおひ)一揃え二十人分ほど)。

「(芝居における)『国定忠治』名月赤城山のくだり」(その場面たる揃い(全体))。

 

「沖辺(おきへ)には小船(をぶね)連(つら)らく くろざやのまさづこ吾妹(わぎも)国(くに)へくだらす(玖陀良須)」(『古事記』歌謡53:「くろざやの」は、これは「黒日賣」という名の女性が国へ、后の嫉妬をおそれ、国へ、里へ、帰ってしまった情景を天皇が歌ったものですが、その「黒(くろ)」が、黒髪が、「さや(爽・清)」ということでしょう。その原文「久」は諸本「文」になっているわけですが、『古事記伝』に言う「久」の誤字とするのが正しいでしょう。ここで音表現の「文」は異様なことになる。「まさづこ」はその項。「くだらす」は「くだり(下り・降り)」の尊敬表現)。

「しな・かたちこそ生れつきたらめ、心は、などか、賢きより賢きにも、移さば移らざらん。かたち・心ざまよき人も、才(ざえ)なくなりぬれば、品(しな)くだり…」(『徒然草』:「しな(品)」は、「ね(価)」で、影響力で、評価したそれ、のような意。「ざえ(才)」すなわち、学問・教養、音楽や詩や歌(和歌の意)を作り、書をなし、などの技能・感性、といった方面のことがなくなればその、しな(品)、がくだるという。つまり、知的文化的なことがなくなれば人の品(しな)はくだるということでしょう)。

「幼(わか)くして聰(さと)く頴(すぐ)れ、才(かど)敏(と)くして識(さとり)多(おほ)し、壯(をとこざかり)にして仁惠(めぐみ)まし、謙(くだり)恕(なだめ)温(やはらぎ)慈(うつくしび)ます」(『日本書紀』:この「くだり」は自己価値が下方進行する。「へりくだり」にあるそれ)。

「遠き吾妹(わぎも)が着せし衣(きぬ)袂(たもと)のくだりまよひ来にけり」(万3453:これは、「ぬひ(縫ひ)」たることの一揃い、縫われているそこ、のような意で言われている。「まよひ」は「ほつれ」の意)。

「天浮橋(あまのうきはし)に、宇岐士摩理(うきじまり)蘇理多多斯弖(そりたたして) 自宇以下十一字亦以音 竺紫(つくし)の日向(ひむか)の高千穗(たかちほ)の久士布流(くじふる)嶺(たけ)に天降(あまくだ)り坐(まさ)しめき」(『古事記』)。「葦原(あしはら)の 瑞穂(みづほ)の国(くに)を 安麻久太利(あまくだり) 領(し)らしめける 天皇(すめろき:須賣呂伎)の……」(万4094)。たとえば「坂をくだり」「川をくだり」の場合、助詞「を」は状態を表現し、坂や川の状態でなにかが下方へ進行していき、「判決がくだり」の場合、判決が社会権威的な意味での下方へと進行するわけですが、「天(あま)くだり」の場合、それはなにかが天(あま)の状態で下方へ進行していることも、天(あま)が下方へ進行していることも、どちらも意味し得る。つまり、人の世が天(あま)になるような、表現になる。