◎「くさなぎのたち(草薙の太刀)」
「くしはなぎのたち(奇し葉和ぎの太刀)」。「しは」が「さ」になっている。「くし(奇し)」は現れ起こることの影響がはかり知れず深奥であることを表現する→「くし(奇し)」の項。古くはシク活用形容詞連体形に「~き」が入らない表現があった(「くはしめ(麗し女)」(『古事記』歌謡2)、「うつくしはは(愛し母)」(万4392))。「は(葉)」は時間を意味する→「はは(母)」の項。「なぎ(和ぎ)」は、平均化・動態均質化すること→「なぎ(和ぎ)」の項。では、「はなぎ(葉和ぎ)」、時間和ぎ、とはなにか。時の経過たる事象を、時の経過たる世界を、動態均質化することであり、そこに争乱変動はなく、それは平穏であり平和な世であり、世界である。葉(は:時間)のそうした和(な)ぎをもたらす奇(く)しき、現れ起こることの影響がはかり知れず深奥な、太刀(たち)が「くしはなぎのたち(奇し葉和ぎの太刀)→くさなぎのたち」。この太刀はスサノヲノミコトがヤマタノヲロチという恐ろしい巨大な禍(わざはひ)を退治した際、その禍の体内に発見され、取り出されている。<br/>
「故(かれ)、其(そ)の(ヤマタノヲロチの)中(なか)の尾(を)を(スサノヲノミコトが)切(き)りたまひし時(とき)、御刀(みはかし)の刄(は)毀(か)けき、爾(ここに)怪(あや)しと思(おも)ほして、御刀(みはかし)の前(さき)以(も)ちて、刺(さ)し割(さ)きて見(み)たまへば、都牟刈(つむがり)の大刀(たち)在(あ)りき、故(かれ)此(こ)の大刀(たち)を取(と)りて、異(あや)しき物(もの)と思(おも)ほして、天照大御神に白(まを)し上(あ)げたまひき。是(こ)は草那藝之大刀(くさなぎのたち)なり」(『古事記』:「都牟刈(つむがり)の大刀(たち)」はその項)。<br/>
「此(これ)所謂(いはゆる)草薙劒也。草薙劒、此云 倶娑那伎能都留伎(くさなぎのつるぎ)。一書(あるふみ)に曰(いは)く「本名(もとのな)は天叢雲劒(あまのむらくものつるぎ)。……日本武皇子(やまとたけるのみこと)に至(いた)りて、名(な)を改(あらた)めて草薙劒と曰(い)ふ」(『日本書紀』:倭建御子(やまとたけるのみこ)の話は神話にあるわけではなく、景行天皇の部分にあり、その時代に「くさなぎのつるぎ」と呼ばれるようになったとすることは『古事記』など考えれば不自然。たぶん、この「一書(あるふみ)」を書いた者は、語の意味がわからなくなり、それが、草(くさ)を薙(な)ぐ、という草刈鎌のような印象となり、より意味深い名にしたく、こうしたことを考えたのでしょう)。
「…尾(を)の中(なか)に一(ひと)つの神(あや)しき劒(つるき)有(あ)り。素戔嗚尊(すさのをのみこと)の曰(のたま)はく、「此(こ)は以(もち)て吾(わ)が私(わたくし)に用(もち)ゐるべからずとのたまひて、乃(すなは)ち…天(あめ)に上奉(たてまつりあ)ぐ。此(これ)今(いま)、所謂(いはゆる)草薙劒(くさなぎのつるぎ)なり」(『日本書紀』一書:この太刀は天照大神のもとへ上奉(たてまつりあ)げられ天孫降臨とともに天降る)。
◎「あまのむらくものつるぎ(天叢雲劒)」
「あまのむらけいむみよのつるぎ(天の群粗(むら)気忌む御世の剣)」。「あまの(天の)」は、神聖な、の意。「むらけいむみよのつるぎ(群粗(むら)気忌む御世の剣)」は、気ままな、欲望のままの、用い方はけしてしてはならない、御世のための剣(つるぎ)、の意。武器の危険性を認識したその戒めです。