「きぬたまら(砧陰茎)」。語尾の「ら」は無音化した。「まら」は男性性器陰茎部を意味する俗語(→「まら(陰茎)」の項:俗語になっていますが、仏教僧から広まった表現)。「きぬた(砧)」は布を打って繊維をほぐし柔らかくする道具(→「きぬた(砧)」の項・8月24日)。砧(きぬた:台ではなく、打つ道具)には様々な形状のものがありますが、一般的に印象深い、「きぬた(砧)」の印象に残るものは、ある程度の太さの短い丸太の小口片方に握り柄のついたそれ(鏑木清方(かぶらききよかた)に有名な砧の絵がある)。ここで言われる「きぬた」もそれ。「きぬたまら(砧陰茎)→きんたま」は、砧(きぬた)状の(その頭部状の)(上記の意味での)「まら」の意であり、これが、その形状印象により、男性性器の(睾丸部も含めた)陰嚢部の総称たる俗称となり、さらにはそれが男性性器全体を意味する俗称たる総称になる。「きんだま」とも言う。

「睾丸 キンダマ …陰丸也」(『和漢音釋書言字考 合類大節用集』)。

「戸塚のきん玉(※)、乞食也、きん玉の大成事(大なること)四斗俵より大なり、往来の人あまたたへず施す」(『続飛鳥川』:「戸塚」は現在の横浜市戸塚区。四斗は四十升(72000㏄)。水なら重さで70キログラム以上。今販売されている20キロ入りの米、三つ半以上)。

 

※ 江戸時代、「戸塚大陰嚢(とつかおほきんたま)」なる名だたる乞食は有名だったようであり、『理斎随筆』(天保九(1838)年成立)巻一の十四にも「大いなる陰嚢(きんたま)の乞食(こつじき)」の話があり(これは寛政(1789-1801)の頃のことであり、この人は人々に二代目と言われたそうです。上記『続飛鳥川』に書かれるのが初代)、その人は路傍に坐し、陰嚢の上に叩鉦(たたきがね)を置き、それを叩きながら念仏を唱え施しを受け、夕方になるとキンタマを紐で縛り肩に担いで帰って行ったそうです。そんな彼を、江戸参府途上の外人医師が見て気の毒に思い、水を抜いて治療してやると言ったのですが、その志のほどはかたじけないが、私はこのキンタマで銭(ぜに)を得て楽に暮らしている、いまこのキンタマが人並みになったら飢えてしまう、「此陰嚢(このきんたま)こそ我命(わがいのち)の親なり」と、丁重に申し出を断ったそうです。