「きも(胆)」
「いきみよ(生き御夜)」と「きみいおひ(着身い覆ひ)」があります。
・「いきみよ(生き御夜)」
語頭の「い」は脱落した。「いきみよ(生き御夜)→きも」、生きた御夜(みよ)、は、生体であり、その艶やかな暗赤色が美しい夜を感じさせたことによる名であり、内臓器官たる肝臓を意味する。
「肝 音干 訓岐毛」(『新訳華厳経音義私記』)。
・「きみいおひ(着身い覆ひ)」
語尾の「ひ」は退化した。「い」は動態が持続的・恒常的であることを表現する。「きみいおひ(着身い覆ひ)→きも」は、着た状態になった身が持続的・恒常的に覆(おほ)っていること、そうなっている身体部分。これは内臓全般を意味する。さらに、この語が人やものごとの内側、全体を内で構成する内容、核心、の意にもなる。漢字ではこれも慣用的に「胆」と書かれます。
「吾(わ)が肉(しし)は御膾(みなます)はやし(膾としてもてはやし) 吾(わ)が胆(きも:伎毛)も御膾(みなます)はやし…」(万3885:この歌では次に「みげ」が言われ、これも内蔵を意味しますが、それは胃から腸にかけての見た目の良くない部位であり、ここでの「きも」はそれ以外の内臓でしょう)。
「汝(いまし)は肝(きも)稚(わか)し」(『日本書紀』:これは人間性の核心のようなことを言っている)。
「見るに、きも惑ひ、倒れ伏しぬべき心地すれども」(『宇治拾遺物語』)。
「(この句は)恋の本意をも背き、月のきもをも失ふ也」(『長短抄』:これはものごとの核心の意)。
この「きも」という言葉は「胆(きも)が座(すわ)る」、「胆(きも)を潰(つぶ)す」、「胆(きも)に銘(めい)じ」、「胆(きも)を冷(ひ)やす」等の慣用表現が多い。「胆(きも)いり」は「入り」ではなく「煎り」。胆を(内臓を)煎るような思いをする努力で何かをすること。「きもごころ(胆心)」「きもた(だ)ましい(胆魂)」は、人内部の核心にやどるような心や魂。「きもったま(肝っ玉)」はこの「きもたましい」の省略俗表現。
ちなみに、漢語に寄らない内臓臓器名は他にもありますが、それらは必ずしも人間の内臓に由来するとは限りません。食用にされ解体された哺乳動物の内臓の実見に由来するものもあるでしょう。哺乳動物の内臓状態は人間とさほど決定的にことなるわけではありません。