◎「きは(際)」
「きは(牙端)」。「き(牙)」はその項参照(7月16日)。「きは(牙端)」は、牙(きば)の端(はし)。ここで言う「き(牙)」(きば)は具体的な何かの動物のそれではなく、理念的なその形状でありその形状により物や動態や情況のあり方が表現される。牙(きば)の端(はし)は、それが端であればあるほど、その存在はなくなる。つまり限界へ向かい限界が現れる。「き(牙)」という言葉自体、存在と不存在の限界を行くような進行的鋭利感を表現する。「きは(牙端)→きは(際)」はその(ものやことの)限界域部分を表現し、それは進行した到達点たる限界域です。
「よく調じたる火桶の灰の際(きは)きよげにて」(『枕草子』)。「水際(みづぎは)」。
「城内の兵ども手のきは戦ひ…」(『平家物語』:努力の限り戦った)。「幸のきは」(幸福の極(きは)み)。「別れぎは」(いま別れようとしているその限界域時点。これは物の、その物たる限界域ではなく、動態のその動態たる限界域)。
社会的評価にも言い、進行し今到達している域点たる身分・地位も言う。「いとやんごとなききはにはあらぬがすぐれて時めき給ふ…」(『源氏物語』:身分、位、家柄といったこと)。「取る方なく口惜しききはと優なりとおぼゆばかり優れたるとは数等しくこそ侍らめ」(『源氏物語』:これは、身分や位よりもさらに一般的に、人の品(しな)、人の評価価値を言っている)。
◎「きはめ(極め)」(動詞)
「きは(際)」の動詞化。何かの限界、終局への意思動態があること。「代をきはめ」は代金の決定を意味する。「きはめ(極め)」と「きめ(決め)」が同じような意味で用いられるということは「きめ(決め)」が終局へ向かう動態を表現していることを意味する。
「 隠(かく)さはぬ 明(あか)き心を すめらへに 極(きは)め(伎波米)尽(つく)して… 」(万4465)。
「悲しみをきはめ」、「奢りをきはめ」、「きはめたる上手」、「誠(まこと)を尽くし理をきはめて(説得する)」、「命をきはめ」(生命が終局に達する)。
「定宿をきはめ、大臣と言はるる程の人」(「浮世草子」:定宿に関し終局的になっている、とは、安定的に決まった定宿がある)。「代をきはめ」(代金に関し終局的になるとは、代金額を決めること)。
客観的な情況がそうなる自動表現もある。「かそふるも みふゆののちの ふゆなれは いとと(いとど)さむさの きはめゆくかな」(『新撰和歌六帖』:「みふゆ(三冬)」は冬の三カ月。孟冬(旧暦十月)・仲冬(十一月)・季冬(十二月)の総称)。
◎「きはまり(極まり)」(動詞)
「きはめ(極め)」の自動表現。「きはめ(極め)」の情況になること。
◎「きはみ(極み)」
「きはやみ(際止み)」。限界が果てること、その情況。
「この照らす日月(ひつき)の下(した)は天雲(あまくも)のむかぶす(向かひ果てる)きはみ……聞こしをす国のまほらぞ」(万800)。
◎「きはり」(動詞)
「きは(際)」の動詞化。終局・限界状態になること。
「年きはる」(万2398)。「としきはる みのゆくへこそ かなしけれ あらは(あらば)あふよの はるをやはまつ」(『明日香井集』)。