「いきつね(行きつ寝)」。「い」の脱落。行きながら、歩きながら、寝るもの、の意。この動物は夜行性なので、人々の目につく明るい昼間は目を細めまるで眠っているように見える。動物の一種の名。「ね」が省略され単に「きつ」とも言ったかもしれません。

𤜶 ……倭言岐都祢 又𤜶獣鬼所乗 有三徳𤜶疑不定也」(『新訳華厳経音義私記』:「𤜶」は「狐」でしょうけれど、「𤜶」と書かれる(この字は本来「狐」とは別字)。「諼(ケン)」は、あざむく、いつはる、だます、わすれる、の意)。

「狐 ……和名木豆禰……能爲妖恠至百歳化爲女也」(『和名類聚鈔』:「恠」は中国の書に「俗怪字」と書かれる字)。

「𤜶 …キツ子(ネ)……クツ子(ネ)」(『類聚名義抄』:上記『新訳華厳経音義私記』と同じように、ここでも「𤜶」と書かれる。「クツ子(ネ)」は、行き空(うつ)寝(ね)、でしょうか。寝ていないが寝たようになっている者、の意)。

 

『伊勢物語』に「夜も明けばきつにはめなでくたかけのまだきに鳴きてせなをやりつる」という歌があります。この「きつ」は狐(きつね)でしょう(※)。桶(をけ)を意味する方言のような語に「きつ」(「きひつ(木櫃)→きつ」でしょう)があり、「かけ」は鶏(にはとり)であり、この歌は、夜が明けたら鶏を桶に放り込んでやる、という読みがなされているようですが、この読みは「はめなで」の意味もよく分からず、夜も明けていないのにこんなに早く鳴いてあなたを帰してしまい、あの鶏、夜が明けたら桶に放り込んでやる、という歌意にも疑問を覚えます。この歌は「『夜(よ)も明(あ)けば狐(きつ)には目(め)無(な)』で朽(く)ち羽(は)鶏(かけ)のまだきに鳴きて彼方(せな)をやりつる」ということでしょう。『夜が明けたら狐には目が無い(狐は襲ってこない。狐は(夜行性で)夜襲ってくる)』(世の中で一般にそう言われている)ということで羽の腐った(飛べない)鶏がまだ夜も明けていないというのに(明けたことにしようと)鳴いて彼方を帰してしまう(そんなふうにあなたは帰る(あなたは羽の腐った鶏だ・臆病だ))、ということです。

 

※ 「きつね(狐)」を(とくに「~に」や「~の」と接続する場合)「きつ」と省略的に呼称することもあったのかもしれませんが、『伊勢物語』のこの場合も「きつねに」の「ね」が無音化しているということでしょう。万3824の「狐爾安牟佐武」も「きつに浴(あ)むさむ」と読むことに確証はない。また、『新訳華厳経音義私記』『和名類聚鈔』『類聚名義抄』の「狐」の読みに「きつね」はあるが「きつ」はない。