「きつあななし(着つ己無し)」。「き(着)」はものやことの付属同動を表現します→「き(着)」の項(7月20日)。「つ」は助詞。「あな(己)」に関しては、「あな(己)」「うぬ(己)」「おの(己)」は母音変化。「きつあななし(着つ己無し)→きたなし」とは、あるものごとが、それを着つつは、それを付属同動しつつは、それを被(かうむ)りつつは、自己ではない、そんなものごとだ、ということ。それを着ては、それを付属同動しては、それを被(かうむ)っては、自己でなくなる、それほど根元的レベルで嫌悪され否定されるものごとだ、ということ。そのものごとは、自然生態的ものごと(たとえば不衛生、不潔)であることもあれば人間的社会的なものごと(たとえば卑劣、卑怯、狡猾悪質)であることもあります。

「不須也凶目汚穢、此(これ)をば伊儺之居梅枳枳多儺枳(いなしこめききたなき)と云ふ」(『日本書紀』:これは死者の国から戻ったイザナキノミコトが死の国をそう表現している)。

「反(カヘリ)天(テ)逆心(キタナキココロ)乎(ヲ)抱藏(イダキ)氐(テ)……岐多奈久(キタナク)悪(アシキ)奴(ヤツコ)止母止(ドモト)相結(アヒムスビ)氐(テ)謀(ハカリ)家良久(ケラク)」(『続日本紀』宣命)。

「汚物まみれのきたない便所」、「意地きたない」、「きたない手口」。

 

この語の語源は、「きた」は方角の「北」であり、「なし」は、はなはだし(甚だし)、の意であり、「きた(北)」は暗さや黒を意味するから、とする説が多い。「きたなし」は気持ちが甚だしく暗く、真っ暗に、なること、ということでしょうか。「きたなし」が(たとえば便所の汚さが)明るさが感じられないこととも思われません。「北」が黒のイメージというのは、中国の陰陽五行説で北を表す色が黒だからということでしょうか。また、この「きた」は「きざむ(刻む)」の「きざ」や「きだ(段)」(破片や「きだはし」(→「きざはし(階)」の項)にある削り痕跡のような意のそれでしょう)であり、それが秩序を意味し、「きた無し」は秩序がないこと、無秩序であることを意味する、とする説もあります。これは語音も不自然であり、刻みや破片や削り痕跡は秩序も意味せず、無秩序であるとは理性的整いがないということでしょうけれど、理性的整いがないことに人はそれほどの根源的嫌悪はしめしません。