「きすみ(蔵み)」(動詞)
「きせいみ(着せ忌み)」。「せい」が「す」になっている。すなわち、E音とI音の連音がU音になっている。「きせいみ(着せ忌み)→きすみ」は、着せることを忌むこと、服を、着せることを忌みただ大切に保存すること。転じて、手を触れず、触れさせず、汚したり傷ついたりしないよう何かを大切に保存することも意味する。
「縫へる衣を櫃(ひつ)の底にきすみたるが如し」(『播磨風土記』)。
「頂(いなだき(下記※))にきすめる(伎須賣流)玉は二つなしかにもかくにも君がまにまに」(万412)。
(参考)以下すべて再記
・「いなだき(頂)」
「いねうはでわき(い嶺上出分き)」。「ねうは」が「な」になり「でわ」が「だ」になっている。語頭の「い」は直線的進行感・連続感を表現する。「ね(嶺)」は山岳。「いね(い嶺)」かなわち、進行感・持続感のある嶺(ね)」とは、尾根(山頂が線状に連なる山岳。「うは(上)」は「でわき」を形容する。「でわき(出分き)」は出現して世界を分けるもの(部分)の意。古くは四段活用の「わき(分き)」があった。(線状の)尾根の上で世界を分ける部分とは、山頂です。それは(少なくとも元来は)円錐状の山の頂きではなく、連続する尾根の頂き。
「いなだきにきすめる玉は二つなしかにもかくにも君がまにまに」(万412(上記))。
・「いただき(頂)」
「いたでさき(甚出先)」。甚(はなは)だ(極度に進行し)、出ている、先、の意。これは山に関して言われたものでしょう。山頂部分です。最も高い部分であり、人間の頭部頂上を言ったりもします。
「ただいただきばかりをそぎ、五戒ばかりを受けさせ奉る」((『源氏物語』:頭部頂上の毛だけを剃った。「五戒」は在家の人が守る五種の戒め)。
・「いただき(頂き・戴き)」(動詞)
「いつはだはき(稜威肌帯き)」。「いつ(稜威)」は、そこから何かが進行している(言語主体は時空的にそれに「射られ」の状態になる)主体を表現します。すなわち、(神聖な)権威、です(→「いつ(稜威)」の項)。「いつはだはき(稜威肌帯き)→いただき」は、何かによりその稜威(いつ)を肌に帯びること。神聖さを感じる力や権威を感じさせる何かを身に帯びること。「勅旨(おほみこと)いただき持ちて」(万894)。これにより、「(仏法を受け、罪は滅び、その力で(蛇になった)身が人に生まれる功徳が近くなり)いよいよ悦(よろこ)びをいただき」(『宇治拾遺物語』)、といった表現もなされ、「いただく」が自分自身の力やそれゆえの利益になる何かを与えられること(貰(もら)ふこと)も意味するようになり、「稜威(いつ)」の源たる何かへの敬いの念の影響とともに、「いただく」が「もらふ」の謙譲表現と言われるようになります。しかし、厳密に言えば、これは謙譲表現ではなく、受けた対象に対する敬いと悦(よろこ)びの表現です。後世では食事をとることも「いただく」と言いますが、原意的には、「くふ(食ふ)」は食物を体内に入れることを意味し、「たべる(食べる)」は何者かが飲食物(昔は酒も)を現(あらは)してくれそれを我が身のものとすることを意味し(語源は「たまへ(賜へ)」)、「いただく」は、その食物としてある人智・人力の及ばない力のようなものを身に帯びることを意味します。つまり、食事前の「いただきます」はそうした人智・人力の及ばない力のようなものを身に帯びますと言っているのであって、「もらふ(貰ふ)」を謙譲表現しているわけではありません。