「ききゆおほし(効き(聞き)ゆ生ほし)」。「ほ」は消音化した。「きき(効き・聞き)」はその項(7月26日)。「ゆ」は経験経過を表現する助詞。この場合は事象の発生基点(つまり原因)を表現します(「きき(効き・聞き)」という動態が原因になっているということ)。「ききゆ(効き(聞き)ゆ)」は、効果(「きき(効き(聞き)」)を経過し、効果(「きき(効き(聞き)」)によって、ということ。「おほし(生ほし)」は「生ひ」の尊敬表現。動詞「おひ(生ひ)」(上二段活用)に尊敬の助動詞「し」がついている。その場合「おひ(生ひ)」の語尾がなぜO音化するかは「おとし(落とし)」の項参照(四段活用動詞の場合は、取り→取らし、のように活用語尾はA音化する)。「おほし(生ほし)」は、「お生ひになり」のような表現。「ききゆおほし(聞く生ほし)→きこし」は、「きき(効き・聞き)」により生(お)ほし、「きき(効き・聞き)」という動態経過(効果動態経過)により「お生ひになり」(発育おさせになり)、のような表現。何かの影響を受け、効果が発生し、何かが生(お)ひたつようになったのです(それを尊敬表現している)。
効果発生を表現するという意味では「きこし(聞こし)」は「きこえ(聞こえ)」にもその意味は似ています。しかし、「きこえ(聞こえ)」の場合は、Aに効果発生した場合それに影響を与えたBの関与が表現され、Aに「きこえ(聞こえ)」が起こることを表現することがBがAに「いひ(言ひ)」を意味し得たりもするのに対し、「きこし(聞こし)」は、ただAに効果が発生していることだけが表現され、他者Bが、「Aにきこし」は(「おほし(生ほし)」は「おひ(生ひ)」の尊敬表現(「おひ(生ひ)」の主体の動態を尊敬し表現する尊敬表現)なので)、現実になく、「Aがきこし」は、Aが環境のなんらか影響を受け何らかの効果を生じたことを表現し、この表現が、Aが何かをしたことの(それを直接に表現しない)間接表現となり、この間接表現がAが何かをしたことの尊敬表現になる。たとえば、Aが何かを食べたことが「Aがきこしめし」(直接に言っていることは、Aに効果が発生した、と言っているだけ)になったりする(ただし、前記の「Aにきこえ」に関しては、直接にAを名指しするような無礼なことは、それにより贈り物を届けることが表現されるような場合でない限り、現実にはまずない)。
また、「Aがきこし」は、尊敬表現たる「おほし(生ほし)」が使役型他動表現としても作用し(「おほし(生ほし)」は上二段活用動詞「おひ(生ひ)」の使役型他動表現)、その(「おほし(生ほし)」が使役型他動表現である)「Aがきこし」が、Aが他者に何らかの効果を生じさせることの表現になったりもする。つまり、「Aがきこし」が、Aが何かを言うことを表現したりもする。「不知(いさ)とをきこせわが名告(の)らすな」(万2710:さぁ…(よくわからない)、という効果を発育させなさい、と言っている。効果がお生まれになりなさい、という尊敬表現にもなっているのかもしれないが、むしろここでの「おほし(生ほし)」は他動・使役表現でしょう。いさ…(さぁ…)という状態になって私の名は言わないで、ということです)。この、「きこし(聞こし)」の「おほし(生ほし)」が使役型他動表現である場合、社会一般的に効果を発生させる、という意味で言われれば、統治する、という意味にもなる(「きこしめし(聞こし召し)」の項にその例がある)。
つまり、「ききゆおほし(効き(聞き)ゆ生ほし)→きこし」の「おほし(生ほし)」は尊敬表現の場合と使役型他動表現の場合があるということですが、現実にはほとんどが尊敬表現。
ちなみに、この「きこし(聞こし)」は「きき(聞き)」に尊敬の助動詞「し」がついた「きかし(聞かし)」、さらには、「きき(聞き)」が使役型他動表現になった「きかせ(聞かせ)」「きかし(聞かし)」となんとなく似た印象は受けますが、別語です。つまり、それらの表現は普通に別にあるということ。
「遠遠し高志(こし)の国に賢(さか)し女(め)を有りと聞かして、麗(くは)し女(め)を有りときこして…」(『古事記』歌謡2:この「きこし」は「きき(聞き)」に尊敬の助動詞「し」のついた「きかし(聞かし)」(お聞きになり)とほとんど同じ意味で言われていますが、「きこし」の方が、そうした情報を得それに影響され(その効果が生ひ)、という意味が強くなる)。
「つのさはふ磐之媛(いはのひめ)が おほろかに(いい加減に)きこさぬ うら桑(ぐは)の木」(『日本書紀』歌謡56:ここでの「きこさぬ」は、効果が発育しない(「おほろか」にならない、いい加減な気持ちにならない)、という意味。「うら桑(ぐは)の木」はものごとの核心部分の意(→「うらぐは」の項))。
「このことを帝きこして竹取が家に御使つかはさせ給ふ」(『竹取物語』:帝が、聞いたというか、情報を得、効果の発生があり、思いが生じた)。
「吾が背子し斯(か)くしきこさば(伎許散婆)天地(あめつち)の神を乞ひ祈(の)み長くとそ思(も)ふ」(万4499:これは、「おほし(生ほし)」が使役型他動表現として作用し、「吾が背子」がかくのごとく効果を生じさせるなら、ということであり、それは、あなたがそう言うなら、を意味する)。