◎「かれ(枯れ・涸れ)」(動詞)
「から(殻)」の動詞化。「から(殻・空)」の項(7月1日)参照。その「から(殻)」の状態になること。もの(とりわけ植物)やことが固く(すなわち乾燥した、水分のなくなった、状態に)なること。動態や事象がそうした印象になることも言う→「声がかれる(嗄れる)」。「草が枯れ」「水が涸れ(水がなくなり)」。「枯れた芸」が生々しい俗臭のなくなっている芸、のような意味で言われることもある。
「無耳(みみなし)の池(いけ)し恨(うら)めし吾妹子(わぎもこ)が来(き)つつ潜(かづ)かば水(みづ)は涸(か)れなむ」(万3788:「無耳(みみなし)の池」は耳成(みみなし)山(奈良県橿原市)の麓にあった池。これは池に身を投げた娘を思った歌)。
◎「かれ(離れ)」(動詞)
「から(空)」の動詞化。「から(殻・空)」の項参照。「から(空)」の、空虚な、虚しい、状態になること。人が離(か)れ、とは、人との関係が空虚(疎遠)になること。語尾Y音で「かえ(離え)」とも言われた。
「珠(たま)に貫(ぬ)く楝(あふち)を家に植えたらば山霍公鳥(やまほととぎす)かれず来むかも」(万3910:疎遠にならず、常に)。
「つれもなく(つれなく)かれにし妹をしのひつるかも」(万4184:疎遠になった妹)。
「冬草のかれにし人は…」(『古今集』:これは、離れ、と、枯れ、がかかっている歌)。
◎「かえ(離え)」(動)の語源
「かれ(離れ)」の活用語尾が主情動態的なY音で表現されているもの。意味は「かれ(離れ)」とほとんど変わらない。どちらも関係が疎遠になることですが、「かれ(離れ)」の方が表現は客観的です。
「ゐ寝てむ後は人はかゆとも」(『古事記』歌謡80:自分を忌み嫌うように人々が疎遠になっても)。