これは古い時代の、楕円形のそれ用の平たい四つの片を投げ、出た面の組み合わせで勝敗を決める博打遊戯の名ですが、その一片が「カウはり(向張り:向きを現すもの」→「かわり→かり」。それをうち投げるので遊戯名は「かりうち(かり打ち)」。「樗蒲 ……和名加利宇知」(『和名類聚鈔』:「樗蒲」の音は「チョホ」。樗蒲(かりうち)は別名「ちょぼ」)。
ちなみに、『万葉集』の歌番2131の四句に「切木四之泣所」とあり、これを「かりがね(雁が音)」と読み、その理由は、「切木四」は上記賭博遊戯で用いる四つの木片であり、これを上記の意味で「かり」と読み、その「泣所」が「かりがね(雁が音)」とする解釈がありますが、読みはそれでよいとして、そう読む理由は、「木四」は「こよ」であり、これは「来よ(来てください)」であり、「切木四之泣所」は、切(セッ)に『来よ』之(これ)泣くところ、ということであり、これで「かりがね(雁が音)」を表現したのでしょう。読みは「かりがね(雁が音)」です。この解釈が分かりにくいのは「之」の意味に了解がないからであり、これは日本では通常ただ「~の」と読まれますが、意味の本質はなにかを「~これ」と軽く認了する語であり、切(セッ)に『来よ』之(これ)泣く、は、切(せつ)なる思いで『来よ…』と泣く。雁の鳴声をそのように泣く声として聞いたのです。『万葉集』には雁や雁が音(ね)が歌材となっている歌は非常に多いですが、雁が妻を呼ぶ(万1562)、や、雁が思いを伝える(万2129、3676)、雁に何かを伝えてくれることを待っている(万2266、3281)という歌が非常に多い。雁や雁が音(ね)はそういうものだったのでしょう。上記2131の四・五句は「雁が音(ね)聞(きこ)ゆ今(いま)し来るらしも」(『来よ』と自分を呼ぶ声が聞こえる。つまり、あの人は来る、ということでしょう)。
さらにちなみに、似たような表記で歌番948に「折木四哭之」がありこれも、賭博「かりうち」に関連づけられて、「かりがねの(雁が音の)」と読まれている。この原文は「折不四哭之」であり、当該部分の原文は「… 物部乃 八十友能牡者 折不四哭之 来継皆白 … 」。この部分は「牡」が「壮」に書き変えられて読まれていますが、この表記は(罪を犯した)自分たちを卑下し遠慮しそう(動物の牡(おす)のように)書いているのであり、書き変える必要はありません。読みは書き変えようと書き変えまいとどちらも「やそとものをは(八十友能牡者)」。次の「折不四哭之」が「不」が「木」に書き変えられつつ、賭博「かりうち」に関連付けられ「かりがねの(雁が音の)」と読まれているわけですが、これは原文のまま「をれふしなきし(折れ伏し哭(な)きし)」でしょう。身を折り伏し泣いた、ということ。この語は次の句の「ひ(日)」にかかる。続く句は「来継皆石」。この部分は「皆石」が「比日 如」と書き変えられ、「如」は次の句に入り、この句は「きつぐこのころ(来継ぐ比日(このころ))」と読まれている。しかし、この句は、原文「来継皆石」は、「皆」は縦書き「比白」の誤読ないし誤写あり、原文は「来継比白石」であり、「比(ヒ)」は「日(ひ)」(太陽ではなく、日々の日(ひ))であり、全体の読みは「きつぐひしろし(来継ぐ日知ろし:来継比白石)」、でしょう。「しろし(知ろし)」は「しりおほし(知り生ほし)」であり、十分に知った、骨身にしみて知った、ということ。そしてそれは「此續(かくつづき)」と続く。全体の意味は、「やそとものを」(我々)は、身を折り伏し泣いた、このところずっと過ごしてきた日、(自分たちの犯した罪を)身にしみて知り、このような日々が続きつつ…、と歌は続く。この歌は罰として蟄居のような罰を受けていた(というよりも、天皇に叱られたというようなものか)人たちが、もう充分悔いて、反省しました(だから許してください)と言っている歌(この歌の注には「悒憤(おほほしみ:気が晴れない、ふさぎ込む)」しこの歌を作ったとありますが、不当な処罰だと不満をもらしているわけではないでしょう。閉じこめられていてもういやになったということでしょう)。
ほかに『万葉集』で「かりうち(樗蒲)」に関連づけられて読まれている歌として、万743「神之諸伏」、万1874「暮三伏一向夜」、万2988「梓弓 末中一伏三起 不通有之」、万3284「菅根之 根毛一伏三向凝呂尓」があります。
万743「神之諸伏」は、上記「かりうち(樗蒲)」に関連づけ、札が四枚伏したら最上の目でおもいのままに継続できるから「神のまにまに」と読む、とすることが相当に広く行われています。これは「もろふし」であり、「もろ(諸)」は全的に、「ふし」は「節(ふし):調子・機会」でもあり、「伏し(伏され、人間にはわからない)」でもあり、そうした、(人間にははかり知られない)神の思いに全的にまかされる、ということ。つまり、「神のまにまに」と意味は似ているわけですが、この歌は、神のまにまに(神にすべてまかせ、そのようにする)、という歌ではなく、どんなひどいことになろうと、それが神の意思ならしかたない、すべてうけいれる、という歌。
万1874、万2988、万3284の「三伏一向」、「一伏三起」、「一伏三向」も上記「かりうち(樗蒲)」に関連づけ、札が三枚伏せ一枚表だったり、一枚伏せ三枚が表だったりしたことを「つき」や「ころ」と言ったのだろうとしてそのように読まれていますが、「かりうち(樗蒲)」でそのような言い方がなされたことに関しては資料的根拠はなにもない。これらの表記はすべて事象の程度を表している。万1874「暮三伏一向夜」の「三伏一向」は、つづく「清く照る」という表現から「つき(月)」とわかるのであり、「つき(ゆふづくよ)」とよみ、それは三が伏せ、一が照り映えている三日月です。万2988「梓弓 末中一伏三起」の「一伏三起」は、末(すゑ)の、事態の成り行き末期の、一が伏し三が起きている、そのいまにも爆発や発射が起こりそうなその頃、ということであり、読みは「あづさゆみ すゑのなかころ(梓弓 末中一伏三起)」ですが、表記により思いの程度が表現されている。読みは、事象の効果程度、時機、という意味で「ころ(頃)」。万3284「根毛一伏三向凝呂尓(ねもころごろに)」も「一伏三向」の読みはその周辺の表記から「ころ」であることは分かり、それはただ一が伏し三が向かっているほど懇(ねんご)ろなものだということが表現される。
つまり、『万葉集』に、賭博遊戯「かりうち(樗蒲)」を根拠として表記されている歌やそれを根拠として読む歌はひとつもない。