◎「から(駆)」
「かりら(駆りら)」。「ら」は「かり(駆り)」を情況化し複数化し、「かり(駆り)」は何かに対し積極的に交感を生じる情況になること、何かに対し働きかけ作用すること、さらにはその何かの勢いを煽るような情況になることを意味しますが(→「かり(駆り)」の項。「駆り立て」の「かり(駆り)」)、「かりら(駆りら)→から(駆)」はその駆(か)り(働きかけ)の総体、仕組み、動的機構、を意味します。そうした機構(仕組み)のある臼(うす)や鋤(すき)や鉤(かぎ)が「からうす(唐臼)」「からすき(唐鋤・犂)」「からかぎ(鉤匙)」。また、この「から」は「からげ(絡げ)」「からみ(絡み)」「からめ(絡め)」「からかひ」「からくみ」「からくり」といった動詞にもなり、すべて他に対し働きかけその動態を促す(つまり、動態が連動する)動態にあることを表現します。
◎「からうす(唐臼)」
「からうす(駆臼)」。「から」は「から(駆)」の項・上記)、その「から(駆)」たる動作連動装置(からくり:仕掛け)のある「うす(臼)」が「からうす(唐臼)」。動作連動といってもさほど複雑なものでもなく、一方を足で踏み、梃子(テコ)のような動作で杵(きね)が落下します。足で踏むだけで杵(きね)を上下させ楽に操作ができる。水車に連動させた場合は動作連動は多少複雑になる。「唐臼」はその新奇・奇抜さを見知らぬ外国の名で表現した当て字。
「碓 ……和名賀良宇須 踏舂具也」(『和名類聚鈔』)。
「おどろおどろしく踏みとどろかすからうすの音」(『源氏物語』)。
この「からうす(唐臼)」に関しては、それと同じ意味の「かるうす」があると言われます。これは『万葉集』にある歌・歌番3817の第一句原文「可流羽須波」を「かるうすは」と読むことにより起こっています。その結果、その歌は田廬(たぶせ:田のそばに作られた臨時的な小屋)のそばに唐臼(からうす)がありそのそばで男が微笑んでいる歌になっている。この原文の読みは、「かるうすは」ではなく、「かるはすは(刈るは『すは』)」です。『すは』は、「すは、一大事」などと言うそれと同じであり、『さぁ』と気持ちの高まりを表現している。万3817の全文は「刈るはすは 田廬(たぶせ)のもとに吾が背子(せこ)はにふぶに笑みて立ちませり見ゆ」。広々と一面に豊かに実った田を見渡し、男が『さぁ…。これを刈るのは大変だ』と豊穣の喜びを感じ笑みを浮かべつつ「やるぞ」という思いが高まり、妻がその脇でそんな男を見た…。この歌はそんな歌です。この歌は『万葉集』の中でも名歌の一つと言っていい。
◎「からすき(唐鋤・犂)」
「からすき(駆鋤)」。「から(駆)」はその項(上記)。その「から(駆)」の施された「すき(鋤)」。「から(駆)」で表現される動作連動は、犂(すき)において牛馬が引く動作と人間が耕す動作が連動するということ。この鋤は仕組みがあり、牛などに引かせ、手で鋤(す)く鋤(すき)よりも遥かに仕事が楽であり、効率が良い。正倉院御物に「子日手辛鋤(ねのひのてからすき)」といわれる儀式で使われた「からすき」の原物が残っていますが、この動作連動も素朴なものであり、手で耕すだけではなく足の動作も連動しているというもの(この犂(すき)は758年の儀式に用いられたものと言われていますが、聖武天皇の崩御は756年。正倉院には聖武天皇の遺物以外のものも納められているということなのでしょうか)。
「犂 ……和名加良須岐 墾田器也」(『和名類聚鈔』)。